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出発 − 1989.12.24(成田)−



 成田に向かう京成電車は空いていた。こんなに空いていて営業が成り立つんだろうかと心配になるくらいだった。そんなことオレが心配してどうなるものでもない。空港ではバリが待ってるはずだった。

 バリというのは、これも坂井と同級のドラマーだが、オレは本名を知らない。確か何度か聞いたような気もするが覚えてはいない。必要ないからだろう。皆バリと呼んでいるし、オレもそうしてる。なんでバリなんだかは知らない。その由来も聞いたような気もするが覚えていない。それも必要ないからだろう。

「南ウィングのインフォメーション前で待ち合わせましょう」

 とバリから電話で指示されていた。気の利いた奴だと思う。オレの方は、

「じゃ、成田空港で・・・」だけで、電話を切るところだった。

 それにしても空港に入るのが、こんなに面倒なものだとは思わなかった。京成電鉄なんて空港の眼の前で終わってしまって、そこからわざわざバスに乗るなんて。ついでにバスに乗る前に、自分の乗る飛行機の番号と出発時間を言わなければならない。

 そんなもの覚えているわけがない。内ポケットに坂井が送ってくれたチケット入れておいて本当によかった。送られて来た時はバリにでも預けてくれりゃいいのにと思っていたけど・・・。

 それにしても、空港なんてすぐそこだぜ。なんでこんな距離バスに乗らなきゃならんのだ。あれ、外歩いてる奴もいるぞ。ということは別にバスに乗らなくてもいいのかな? いや、しかし抜け道はなかったようだけど・・・?

 もしかして、アイツ歩いてここまで来たのかな? うそだろ。ハワイ行った時もこんなだったっけ? よく覚えてない。これも必要ないからだな。

 南ウィングというのはすぐにわかった。こんなものは上を見て歩いていけば、わかるようになっている。どうも見たことあるな、もしかしてデジャブってヤツかなと思ったら、なんのことはない、以前ハワイに行った時もここから行ったんだ。そうか、ここが南ウィングというのか、と今更ながらに感心した。

 約束の一時半までにはまだ三十分も時間がある。ベンチに座って煙草でも吸っていようと思ったが、どこ見渡しても灰皿が見つからない。仕方ないから売店の側の喫茶コーナーに入った。煙草一本吸うために四百円のまずい珈琲飲まなきゃならないなんてあんまりだと思う。

 しかし、空港内には人が多い。京成電鉄の空き具合がうそのようだ。この人達がみんな海外行くのかと思ったら、何だか気持ち悪くなってしまった。そりゃ外国に日本人が溢れるわけだ。

 ぼけっとしていると、遠くの方に飾ってあるでっかいクリスマス・ツリーが見えた。おかしなものだ。それまで今日がクリスマス・イブだってことをすっかり忘れていたんだから。

 現金なもんだよな。クリスマスから逃げ出すためだけに、ここにいるようなものなのに。それにしても、なんだって空港の中にあんなに大きなツリーが飾ってあるんだ? まあまあ、記念写真なんて取っちゃって。なんだって、こんなところで写真取らなきゃならないんだ。なんでも取っときゃいいってもんじゃないだろが。なんであんなに写真が好きなんだろ? 写真でもないと忘れてしまうのか、おまえ達は・・・。

 その時、向こうの方からバリが歩いてくるのが見えた。キョロキョロ辺りを見渡してる。あれじゃまるきりオノボリさんだ。もっと堂々と出来ないものかね。恥ずかしいじゃねえか、とっとと声をかけてあげよう。なんとまあでかいスーツケース抱えて・・・、

「いよっ」

「あ、来てたんスか。良かったあ。いやあ、小森さんのことだから遅れんじゃないかって心配だったんですよね」

「あのねえ、オレは社会人だよ」

「そんなこと言ったって、去年の北海道スキー、ギリギリだったらしいじゃないですか。新幹線に乗り遅れたこともあるっていうし」

「よく知ってんな、そんなこと」

「あれ、荷物それだけっスか?」

「ああ。おまえねえ、引っ越しすんじゃないんだからさ。一週間の旅行なんてバックひとつで充分だろうに」

「はあ・・・」



 バリが気を利かせたらしく一時間も無駄な時間があったが、搭乗手続きを済ませることにした。

 出国なんたらと書いてある看板の下をくぐった先に、エスカレータが下っている。昔見た『男女七人夏物語』を思い出した。ここで大竹しのぶは後ろ向きになって手を振ってた。エスカレータが下って見えなくなるなんて、あんまり上等な別れ場面じゃないと思ったものだ。

 しかし、ここでまた納得のいかないことに出会ってしまった。なんなんだ、この空港使用料というのは。なんでこんなとこで八百円も払わなきゃならんのだ。必要性がわからん。バリにそういうと、

「入場券みたいなもんでしょ」

 あっさり言う。

 ますます納得いかない。だって電車乗るのに切符のほかに入場券がいるか? まったく、こういうところがダメだっていうんだよ日本は。こういうわけのわかんない金をちょこまか払ってる間にオレたちの生活はいつまで経っても楽になんないんだ、ぶつぶつ・・・、

「ちょっとお。やめてくださいよ、これからニューヨーク行こうってヒトが、何言ってんスか。それじゃ、ただのオヤジっスよ」

 バリに説教されてしまった。

 エスカレータ降りたところに出国ゲートが待ってる。ゲートとはよくいったものだ。各馬いっせいに、って感じかね。いや、どちらかというと高速道路の出口だなこれは。それも大渋滞の。おもしろいもんだ。あのガラスの向こうはもう日本じゃないんだから。

「・・・ハイ、そうっす。ニューヨークっす、ハイ」

 どうしてここの窓口のヒトは、こんなに無愛想なんだろう。それゃまあ一日中こんな狭い場所にいたら気も滅入るだろうけど。少しは笑ってごらんよ。きっと楽しく仕事が出来ると思うんだけど。



 この白線を越えてっと、よし日本脱出だ!

 ・・・とりあえず、免税店で煙草買っとくか。

 搭乗口の手前も混んでいた。それでも不思議なものだ。知らず知らずに別の気分になっている。どういえばいいんだろう。

 そうだ。楽屋にいる気分だ。これから自分たちが演奏する前の、なんともいえない空気。オレはあの時間が好きなんだ。ほどよい緊張感と高揚感。早く舞台に上がりたい、いや、まだ上がりたくない。もったいつけていたい時間帯。祭が始まる前ってやつだ。

 バリはさっきからまたキョロキョロして、外人やスチュワーデスが通りかかる度に目で追ってる。そりゃまあ初めての海外旅行だっていうんだから、わかんないでもないけどさ。やっぱりここは毅然としていたい。

 あーあ、また海外かあ。いい加減飽きちまうよなあ、という顔をする。いいのいいの、本当のことなんて。はったりで充分なんだから。それがなんていうか、たしなみだと思うのよね、海外旅行者の。

 オレは当然そういう顔をしている。いや、鏡がないから本当のところはわかんないが、おおかたそう見えるだろう。途中でわざとあくびなんかしてみたりなんかして、

「小森さん、寝てないんスか?」

 そうじゃないっつうの!

 実はさっきからあっちのベンチに座ってる二人組が気になってしようがない。時々そっちをチラチラ見ている。もちろん女の子たちだ。カップル見てどうしようっていうの。公園で覗きやってんじゃないんだから。その二人組っていうのがね、なんか普通なのよ。いや、悪い意味じゃない。あんまり普通っぽくて、それがいいのよ。

 なぜか空港っていうのは普通っぽくないヒトをよく見かける。ほら、いるでしょ、外見とか態度とか、いったいこのヒトはなにやってるヒトだろうって、考えちゃうようなヒトが。

 確かに渋谷や六本木歩いててもいることはいるんだけど、さらにそれに輪をかけたようなヒトが多いんだ、ここは。利用客全体の割合からすれば少ないのかもしれないけど、いかんせん、そういうヒトは目立つからね。なんだか、そういう人間ばっかりのような気さえしてしまう。

 そうなると普通っていうのは貴重なんだ。見てて安心する。あ、言っとくけど、大勢でガヤガヤやってる普通は論外だよ。あの二人組の場合は、適度に落ちついていて適度にはしゃいでる。そこがいいんだな。

 なんだか犬みたいだな。片方がスピッツでもう一方がコリー。どちらかというとコリーの方がいいかな。働いてるんだろうか。若そうだけど、学生には見えないし。何やってるヒトたちだろ。あんまり化粧っ気もないし、保母さんか、看護婦さんって感じかな。それとも金融関係のOL? 市役所の窓口? 意外と夜のお仕事だったりして・・・、わっ、だったらすごいな。

 いったい、どこへいくんだろう。ハワイとかグアムとか、そんなとこかな。ああ、なんかお話してみたいな。別に変な意味じゃなくて、二度と会わなくてもいいんだ。ただ、へえ、グァムいくんだ? あ、オレたち? うん、ニューヨーク。いやいや、そんな。そうだね。うん、ありがと。じゃ、君たちも楽しんで来てね・・・。そんな会話が出来たら、それで充分なんだけどな。

「小森さん、小森さん、そろそろ搭乗ですよ」

「え? あ、ああ・・・」

「なーに、女の子ばっかり見てんスか」

 は! 思っきり、ばれていた。

 いつのまにか搭乗口には列が出来ている。ホント日本人っていうのは列が好きだ。列にならなくても入れるだろうに。こんなの日本人だけじゃないのかなあ。行列している外人なんてロシアのニュースくらいしか思い浮かばない。なんか貧乏臭いんだよな、行列って。

 でも、結局オレたちも列に並んだ。自己主張しながら生きていくのってむずかしい。流れに従っている方が楽だし、正解かもしれない。あんまり好きな生き方じゃないけど。

 あれ?

 少し前に並んでいるのは、さっきのコリーとスピッツではないか。もしかしてあの子たちも同じ飛行機なのか? そうだよな。えっ、それじゃ、ニューヨークに行くってことだ。へえ、それはそれは・・・。

 うーん、なんだかラッキー。もしかしたらお友達になれたりして。ニューヨークの街中でデートしたりなんかして・・・。

 ないな。

 ないない、そんなこと。どうしてオレってば、いつもこんなことばかり考えているんだろ。いままで、そんないいことあったか? ほら、ないだろ。そんなもんなんだよ、現実なんて。期待しちゃいけないのよ、人生なんて。無欲よ、無欲。空即是色、色即是空。

 やっと搭乗口にさしかかった。演説台みたいなところにスチュワーデスさんが立っている。やっぱ美人だよな。にこやかだし。ま、営業スマイルだろうけど。営業だろうがなんだろうが、笑わないよりはよほどいい。

 管(くだ)のような通路が飛行機のドアまで続いてる。何度か乗ったからもう慣れたけど、オレはこの管も好きじゃない。どうも情緒がない。

 ほら、よく政治家なんかが飛行機乗り込む時、機外に設置された階段上っていくじゃない。あれがいいんだよ、あれが。あれの方がよっぽどこれから飛行機乗るぞって感じがするもんな。降りる時だってそうだよ。ああ、着いたんだなって思えるじゃない。その辺がね、どうもこの通路には感じないのよ。いつのまにか飛行機の中って感じだもの。しかしなんだな、外だと雨が降ったら困るし。そう考えたらどっちもどっちか。うーん、あちらを立てればこちらが立たず。

 飛行機のドアまで辿り着くと、二、三人の乗務員がにこやかに迎えてくれる。日本人は一人しかいない。ノースウェスト航空だから、当たり前だろう。

 あ、きみきみ。わざわざいらっしゃいませなんて言わなくていいから。

 ウェルカムといってくれ、Welcomeと。

 オレたちの席はずいぶん後ろの方だ。もちろんエコノミーに決まってる。いつかファーストクラスに座れることがあるのかな?

 ないな。もし、そんな余裕があっても、他に回しちゃうよ。座席に金を使うなんてもったいない。ああ、なんて貧乏症なわたし・・・。

 席は窓際の三人掛けの奥二つ。窓側なのは救いだろう。六人掛けの真ん中の方に座った日には、面倒くさくてトイレにもいけない。たまたまオレが持っている航空券の方が窓際の席だった。初めての海外だとかいうバリと変わってあげようかとも思ったのだが、やっぱり止めた。いくつになっても、窓から外は眺めていたいものだ。

 座席にはあらかじめ紺色の毛布と白い小さなマクラが置いてある。じゃまくさい。上についている荷物入れに入れておくことにする。しかしコートを丸めて入れたら、荷物入れはすでに一杯になってしまった。狭すぎるよ、これじゃ。

 バリの隣には大人しそうなおじさんが座った。なんだか周りの顔ぶれもぱっとしない。喫煙席だからだろうか。オレは別に吸えなくても我慢できる方だから禁煙席でもよかったのだが、バリの希望でこうなった。長いこと乗ってるんですからと言っていた。そういえば、長いことっってどれくらいだ? バリに訊いてみた。

「確か、14時間くらいだったと思いますよ」

「な・・・」

 14時間だって? 半日以上じゃないか。うかつだった。そこまで長いとは思わなかった。多めに見て七、八時間ぐらいだと思ってた。だって飛行機だぜ、ジェットだぜ。うわあ、ニューヨークって遠いんだあ。すごい実感できる数字だ。うん、そりゃ、煙草でも吸わないと間が持たんわ。

 機内のアナウンスが聞こえてくる。“アテンション・プリーズ”ってやつね。

 いよいよだなって気になる。先に流れるのは日本語だけど。うん? 到着は二十四日の十五時三十分? それって二時間前じゃない? そうか、日付変更線越えるんだもんな。何だか変な気分だな。だって過去に戻るんだぜ。一種のタイム・マシンじゃないか。あれ、待てよ・・・、

「バリ、もしかして向こうに着いても、まだクリスマス・イブってことか?」

「そうなんですよ。着いてもまだクリスマス出来るなんて、いいでしょ?」

「うそっ。冗談じゃないよ、こちとらクリスマスは嫌いだっていってんのに。えー、てことは・・・」

 機内の後ろの壁時計は、ご丁寧にも日本時間と現地時間を示している。それに寄ると時差は14時間程度になる。

「な! 今日が38時間も続くのか?」

「いやあ、今年のイブは長いっすね」

「あたあ・・・」

「あ、でも、その分、大みそかが少なくなるんスよね。ああ、紅白観れるかなあ」

「な? 紅白ぅ? おんまえ、あんなもん観てんの?」

「ええ、当たりまえじゃないスか、日本人なら」

「はぁ? なんとまあ、ストーンズ・バンドでドラム叩いてるヤツがなんてことを。ああ、世も末だ・・・」

「まったまたあ、そのうち小森さんだって、観たくなりますって、あれは」

「ない! オレに限って、その心配はもうとうナイ! あ・・・」

 シートベルト着用のアナウンスが聞こえる。離陸が始まるらしい。窓から外を覗く。薄暗くなった空と、枯れた芝生の地面が見えるだけだ。これ以上なく殺風景な眺めだな。陸の上に止まってる飛行機の窓から見る景色なんて、おもしろくもなんともない。何でもそうだろ。窓の外が動くから乗り物はおもしろいんだ。

 ゆっくりと外の景色が動き出す。離陸が始まった。機内に機械音が満ちてくる。クゥーンという低い音。犬がおねだりしているみたいだ。犬のおねだりが大きくなるにつれて、窓の外の風景に加速が加わる。そうはいってもどこまでも枯れた芝生が見えているだけだけど。だんだん音が大きくなってきた。クゥーンがゴォーになってくる。ゴォーがやがて、グワォーに変わったと思ったら、枯れた芝生が斜めに見えた。

 あっけないほど簡単に、ノースウェスト機は地面を離れた。

 シートベルト着用のランプが消える。同時に "NO SMOKING" も消えた。バリはさっそく煙草を取り出す。吸いたくもないのにオレも火を付けた。時に煙草というものは、ひと仕事終えたことの確認にもなる。オレたちが何をやったという訳ではないけれど。

 離陸してしまうと窓の景色は単調だった。空しかないんだから、当たり前だ。どこまでいっても暗い。それも薄汚れている。前の座席の背をさぐってみる。救命道具の使い方シートなどにまざって、航空会社のカタログ雑誌が入っていた。パラパラとめくってみる。広告ばっかりでおもしろくもなんともない。しかも英語だ。

 一番最後の方に機内映画の紹介が出ていた。たいしたものないと思っていたら、"BACK TO THE FUTURE 2" が出ている。まだ公開したばかりだっていうのに。オレはスピルバーグの絡んだものは大抵見ている。映画なんてしのごの言わずにおもしろければいいんだ。この映画だって前の週に見たばかりだった。しまった、こんなところで見れるならとっときゃよかった。もったいない。ま、もう一回見てもいいな。あの映画展開早すぎてついていくのたいへんだったもんな。スジなんて、続きではじまって続きで終わっちゃったけど。

 そこへまた放送が聞こえてきた。映画のことも言ってる。あれ? なんかちがうぞ。もう一度手元の雑誌を見てみる。なんだ、これは別便の映画じゃないか。ちぇ、損した気分。それで、ここじゃ何が見れるわけ?

 お、"EAGAL REAGLE" だ。これはいい。見たかったんだ、これ。

 ロバート・レットフォードが弁護士をやる話だ。毎週TVで "SHOWBIZ TODAY" を見ているから知っている。デヴラ・ウィンガが出てるんだよな。『愛と青春の旅立ち』の相手役。あのハスキーな声がいいんだ。ついでにダリル・ハンナまで出てる。よかったよなあ、『スプラッシュ』。この "EAGAL REAGLE" という映画が邦題では『夜霧のマンハッタン』に変わる。苦労はわかるけど、なんとかならなかったのかね、あのタイトルは。だいたい邦題の付け方というのは下手だ。『愛と青春〜』っていうのはうまいと思ったけど。いや、しかしニューヨーク行く前に『夜霧のマンハッタン』見るなんて、しゃれてるかもしれないな。うーん、早く見たい。映画見れるんだったら十四時間かかろうが、どうでもいいや。

 機内には飲物サービスが始まっている。

 "TEA OR COFFEE ?"

 ってやつね。初めて海外行った時には緊張したもんだ。これがひとつの通過儀式だと感じた。配っているのが近づいてくるまで、

 "COFFEE PLEASE, COFFEE PLEASE"

 て何度も口の中で唱え続けていた。念仏みたいだった。やっと自分の番になって、

「コオヒィプ」

 と、ただのカタカナでそこまで言ったら、もう手元にカップ渡されて、後はなにも言えなかった。あれは苦い珈琲だった。

 何度かやってるうちに馬鹿らしくなった。なんせあれはサービスなんだ。客が緊張してどうする。口開くのがおっくうだったら、指差すだけでもいいだろう。ただ、そうやって開き直った後には簡単に、

 "COFFEE PLEASE" と口に出る。不思議なものだ。

 ノースウェストではジュースを片手に回って来た。バリが緊張してるのがわかっておかしかった。オレもバリもそのままオレンヂ・ジュースをもらったら、バリの隣りに座ったおじさんが、いきなり、

「ビールはあるか?」

 みたいなことを英語で聞いた。簡単にビールが出てきてしまった。うわっ、そんなんあったんか。どうせなら、ビールがいいに決まってる。この親父、強者だ。

 こんどはなんだ、イヤホン持って来たぞ。あのぶよぶよの聴診器みたいなやつ。え、売ってんの? うそ、こんなもの付いてるもんだろうが。詐欺だ。だって、それがなきゃ映画見れないじゃないか。そんなの、溺れてるヒトの前で浮き輪売りつけるようなもんだろうが。その辺がアメリカだよ、この飛行機。やっぱ日本の航空会社とサービスが違う。全日空や日本航空はえらいんじゃないか。いや、待てよ。あっちの方が運賃高いらしいしな。そう考えると、こっちの方が良心的なのかなぁ。いらないヒトは買わなきゃいいんだし。でもな・・・。ええい、なんともいえんわ。

 とにかく、これは買わなきゃならんだろう。4ドル? うーん、安いんだか、高いんだかわからん。畜生、買ったからには思いきり使ってやる。この肘掛けに差し込んでと。なんでこれ二股なんだろう。ま、いいか。

 うん? なんだこれ? ああ、テレビのニュースか。そういえば、いつのまにかスクリーンに映ってんな。このダイヤル回すと番組変わるんだろ。・・・なんだ、ここも一緒だ。・・・琴? クラシック? ・・・げっ、歌謡曲だ・・・カントリー? ・・・映画音楽か。・・・お、ロックだ、・・・あら、終わってもた。しょうがない。ニュースでも見てるか。

 窓の外は相変わらず暗い。よくみると雲の上を飛んでいる。おとぎ話の雷様が住んでるところ。孫悟空が乗っちゃうもの。こうして見ていると、本当に上に乗れそうだ。あそこで寝っころがったらどんなかな。なんもかんも、どうでもよくなっちゃうだろうな。一日中、太陽浴びて。一晩中、星を眺めて。平和だよなぁ、そんなの。でも、どうだろ。飽きちゃうかな。

 お、どうやら映画が始まるらしい。ちゃんとイヤホンの中にまでアナウンス流すのか。そうだよな。ロック聞いてたら、こんなの聞こえないもんな。なんだ、字幕じゃないのか。ああ、それでテレビ用のチャンネルが二つあったんだ。こっちで英語やってて、こっちで日本語やってるわけね。なるほど。ああ、でもな。あんまり好きじゃないんだよな吹き替えって。どうも雰囲気が違う。やっぱオリジナルじゃないと。だって声だって演技だろ。そのヒトの個性だし。そりゃま、字幕だと画面も全部見えてないし、台詞の半分も伝わらないんだって聞いたことあるけど。どうしよ。試しに英語の方聞いてみるか。・・・。



 何だ? さっきの何て言ったんだ? やっぱ、だめだ。話がわかんなくなっちまう。ところどころ分かる単語もあるけど、何言ってるかついていけない。だいたいこの映画、台詞多すぎる。そうか法廷劇なんだよな。台詞多くても仕方ないのか。ええい、吹き替えでいいや、吹き替えで。それにしても、さっき何て言ったんだ。畜生、巻き戻せないのかこれ。ビデオだったら、いいのに。ああ、デヴラ・ウィンガがハスキーじゃないっっ!!

 ・・・

 うん。なかなかいい映画だったな。この際、あの吹き替えも大目にみよう。しかし、デヴラ・ウィンガとダリル・ハンナが同じ声優っていうのはすごかったな。ま、いいや。映画は筋だ。こういういい映画を見た後は、誰かと話したくなるもんだ。うん、隣りに知り合いがいてよかったよかった。

「おもしろかったよな、バリ」

「え? 小森さん、見てたんですか? すごいな」

「あれ、おまえ見てなかったの?」

「だって英語じゃ、わかんないじゃないですか。途中でやめちゃいましたよ」

「?」

「吹き替え付いてるとよかったんですけどね」

「ちゃんと、こっちで流れてただろうが」

「え? えー! 吹き替えあったんスか!!」

 こいつ・・・。



 やっぱり14時間っていうのは長い。うとうとしたあと、時計見たらまだ六時間しか経っていなかった。しかし、どういうわけだろう。考えてみたら十四時間といっても半日とちょっとでしかない。そんなの日曜日に部屋でごろごろしていたら、あっという間だ。仕事が忙しい時ならなおさら早い。不思議なものだ。同じ時間のはずなのに、どうしてこうも違うんだろう。この座席に座っているからか。そうだよな。ここから他に行けないもんな。

 仕事が暇な時だって時間が経つのが遅い。あれは暇なのにそこにいなきゃいけないからだ。同じ暇でも休みの時はどこいったっていいし、何やったっていい。どれにしようと悩んでるだけでも簡単に時間が過ぎ去っちまう。あれは自由だからだ。束縛されてないからだ。そう考えると、こういうのも必要かもしれない。時間がこんなにもゆっくり流れていることを確認すること。無駄使いしたものを思い出すこと。

 眼下を見おろすと暗闇の中に光の粒がばらまかれている。街の明かりだ。なんとうつくしく、なんと弱々しく、そしてなんと強情な光の粒たち。神様はいつもこうやって見ているのだろうか。人間達が造ったものの夜のうつくしさ。自分が造ったものの昼のうつくしさ。

 ニューヨーク到着までの間に更に二本の映画が流され、一回の食事が支給され、ひと袋のナッツが配られた。ビール二缶、ジュース一杯、コーヒー二杯を飲んだ。トイレには二回行った。映画は全部見た。

 一本はジョン・ベルーシの弟が刑事で、警察犬が主役のコメディだった。タイトルも知らないし、こんなところか深夜テレビでもないと見ない時間つぶしの映画だと思ったら意外におもしろかった。

 もう一本は『ゴースト・バスターズ』の続編だった。なんとこれには吹き替えが付いていなかった。それでも筋はだいたい分かった。この手の映画は分かりやすい。めちゃくちゃくだらなかったが、ニューヨークの街中がいたるところに出てきた。最後なんて自由の女神が歩き出してしまう。これから行くところは、とんでもないところかもしれないとも思った。嫌が上にも旅行気分が盛り上がってきた。

 窓のシェードを開けると、外は白に変わっていた。2日連続でみる、クリスマス・イブの朝だった。午後3時30分、JFケネディ空港に到着した。





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