西濃 国見岳・虎子山

行った日 : 2003年5月4日(日) 晴れ

メンバー : K社山楽会  8名

場所  : 国見岳(くにみだけ・1126m)・虎子山(とらすやま・1183m)
       春日村 → 国見岳スキー場 → 国見峠 


6:35
7:35/8:10
8:45
9:10/9:25
10:50/11:30
12:10
国見峠
国見岳頂上
鉈ヶ岩屋
国見峠
虎子山山頂
国見峠

麓の国見岳スキー場から登る計画で、早朝5:00に各務原市集合・出発。

しかし、途中の道程が思ったより順調だったのと、国見峠まで車で行けたので、予定より2時間ほど早く下山できた。 (国見峠から滋賀県側は通行止めになっている)

国見峠から東に登ると 国見岳を経由して伊吹山に至る伊吹北尾根コース、西に登ると 虎子山になる。
峠の南側には、伊吹山が デンと構えている。いつも東側から見ているが、北側から見る伊吹山はまったく 別の山のように見える。(右の図は感覚で書いた絵で、距離や方角は正確ではありませんので、ご了承ください)


国見峠

国見峠から見る伊吹山

峠には いろいろな由来があるところが多いが、国見峠にもあるようだ。
以下、国見峠にある立派な石碑からの引用

この峠道は 近江と美濃を結ぶ歴史の間道であり、塩と絹の道として往来する村人の暮らしの道であった
教如上人をかくまった鉈ガ岩屋は峠にも近く、落ちのびた武将や子女の哀史は尽きない。
また 明治・大正期には伊吹の野麦峠でもあったのである。
宮本武蔵が駆け抜けた峠、伴団右エ門の大滝、炭山村跡、さざれ石の伝説もある。
峠を下れば寝仏、尻まくり地蔵が、訪れる人々に歴史の歳月を語りかける。

今日の本命は「虎子山」なので、まず先に国見岳に登る。
10分ほど歩くと、イワウチワが一つだけ咲いている。周りはすでに終わっているようだ。 その先では ショウジョウバカマも すでに花は落ちている。
残念ながら少し遅かったようだと思いながら歩いていると さにあらず徐々にイワウチワの花が増えてくる。
エンレイソウは今が盛りか、あちこちに咲いている。ネコノメソウもたくさんある。
きつい登りは少ないので、花を楽しみながらハイキング気分で歩く。山頂手前のパラボラアンテナまで来ると  あとは平坦で、薄紫色の花(ヤマエンゴサク?)や、イチリンソウも咲いている (イチリンソウはまだ少し早く、一面にとまでは いかないが)。
ヒトリシズカも小さいがあちこちに。



花の拡大写真はこちらへどうぞ


国見岳山頂

花を楽しみながら、写真に夢中になりながら、歩いているうちに あっという間に山頂に着いてしまった。

国見岳山頂付近は割合平坦で、あまり山頂と言う感じはしない。従走路のいくつかのピークの一つという感じである。
(三角点があったかどうかも記憶が定かでない)

しかし山頂からは、南に伊吹山、南東に池田山、北東に 白山、冠山、能郷白山などが見える。 南の方は霞んであまり遠くまで見えなかったが、北の方は比較的よく見えた。

まだ7時半を過ぎたばかり。コーヒータイムとし のんびり景色を眺めながら休憩し、国見峠へ引き返す。


鉈ヶ岩屋

途中、「鉈ヶ岩屋まで10分、野ウサギ・リスや野鳥が生息、高山植物が群生」の案内板に惹かれ  行って見た。

慶長5年(1600年)関が原の合戦直前の8月、教如上人が関東から帰洛する際 石田三成軍に襲われ、地元信者によって ここ鉈ヶ岩屋に匿われた。東軍勝利後9月15日に岩屋を出て 国見峠を通って帰洛した。。とのこと
なお、教如上人は 後 徳川家康の援助を受け 東本願寺を建立。

野ウサギ・リスには逢わなかったし、高山植物の群生も見られなかったが、ひっそりと咲いた ただ一つのチゴユリ を見ることが出来た。


虎子山山頂

国見峠で小休止。今度は反対側の虎子山に登る。
虎子山登り口の標識は無いが、踏み跡があるから判る。

いきなりの急登。 笹や中途半端に切り払われた雑木の枝がアチコチに飛び出しており歩きにくい。
花もまったくといって良いほど無い。スミレとタムシバを一度見たくらいか。
登るにつれて、踏み跡もわかりにくいところが多々あるし、場所によっては 足元も見えないくらいの笹薮の中を 分け入って進む。

一つ道路を隔てただけで こんなに違うのかと驚き。しかも 国見岳は「岐阜百山」に入っていないが、 こちらの虎子山は入っているとのこと、どんな基準で選ばれたのだろう???と思った。

途中の眺望も無く、やがて山頂に到着。山頂も狭いが、東〜北北東方面の眺望は開けている。

まだ、11時前であるが ここで昼食。下山。

帰りは、春日村「もりもりの湯」で温泉に入る。


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