パソコン歴

40代半ばを過ぎて、パソコンを始めた。
仕事で必要などといった差し迫った理由があったわけでなく 単なる好奇心で始めただけで、習いに行くわけでもなし(当時はパソコンスクールも あまりなかったと思う)、周りの同年輩で やっている人も少なく、最初は本を頼りに、途中からはパソコン通信の情報なども大いに活用させてもらい、 いまだにトホホ…を繰り返しながら遊んでいる。

トホホ集はこちらをご覧ください

1994年3月

1号機購入

『パソコンを個人で所有するなんて よほどの道楽』と思っていたが、最近増えてきたらしい。 マスコミでもしばしば話題になる。買ってみようか。。。
もちろんそれまで使ったことはないが、ワープロの延長のようなものだろう くらいの感覚で考えていた。
知識もないのに大して調べもせず、タマタマ雑誌で紹介されていたものに即決。
98メイトシリーズのなかでも初心者向け。

NEC PC-9821BS/U7W
OS : Windows3.1
CPU : i486SX/33MHz
メモリ : 5.6MB
HDD : 170MB

まったくの初心者で、まわりに聞く人もいなく パソコン雑誌などを頼りに独力で いじり倒した。
トホホの連続。。。おかげで、OSの再インストールを何回やったやら。。。
この時のOS(Windows3.1)はフロッピーディスクで26〜7枚 あり、それを入れ替え・挿し替えしながらインストールするという大変時間がかかるものであった。
1年も使わないうちにスペック不足を感じ、その後2度にわたってメモリー増設(32MB)、 外付けハードディスク追加(540MB)、オーバードライブプロセッサー換装、 CD−ROMドライブ取り付け など結構手を加えた。

おかげでMS−DOSも少し覚えたし(今ではすっかり忘れてしまったが)、パソコン のことが少しは理解できるようになった。
(このマシンは 2号機購入時に 人にあげてしまったので、 今は手元にはない)。

1995年9月

モデム購入、パソコン通信を始める

しばらくの間は、大して必要もないのにデータを作ったりゲームをしたり結構遊んでいたが、 そのうち飽きてきて、もっと面白い使い方はないかと考えるうちに、パソコン通信を知った。

(モデム)アイワ PVBF288M2WW

当時としては最速の28,800bps(今から見ると とてつもなく遅い!!)

「PC−van」、「Nifty」に入会。パソコン通信を始める。

1996年4月

ISDN導入

少し前から、インターネットも見るようになったが、とても遅くストレスが溜まるし、 電話回線を独占すると女房には怒られるし、電話代も馬鹿にならない。そこでISDNを導入することにした。
スピードとともに、電話とインターネットが同時に使えるという点が決め手であった。
ISDN初期の頃で、DSU内臓のTAと接続工事で9万円ほどかかったし、 専用交換機になるため電話番号も変わってしまい、女房から また苦情。

しかし、これで『ネットサーフィンも思う存分できるぞ』と思ったが、すぐに飽きてしま い、意外と活用しなかった。

1997年5月

2号機購入

1号機をWindows95にアップし、しばらく使っていたが非力で、これ以上の改造も限界が あるので2号機を購入。

NEC PC-9821 V200/SD7
OS : Windows95
CPU : MMX Pentium 200MHz
メモリ : 32MB
HDD : 3GB

1号機ではロータスオフィス(ロータス123&Amipro)を使っていたが、2号機には MS Word&Excelがプレインストールされていたのでそちらに変更。以降 MS Word&Exce lを使い続けている。

1997年8月

デジカメ購入、ホームページ作成にチャレンジ

ネットサーフィンもすぐに飽きてしまい、しばらく宝の持ち腐れ状態であったが、 この頃、パソコン通信の仲間の間で ホームページを作ることが流行りだし、 私もチャレンジ。

(デジカメ) Epson CP-500 (80万画素)

しかし、作れるかどうか・続くかどうか自信がなかったので、金をかけずに すべて、フリーソフトを探して出発。
最初に使ったのは、Wordに付属していた『Internet Assistant for Microsoft Word』 というソフトであったが、なんとも使いにくい(意図したとおりに整形出来ない)ので、タグを勉強。
これが、その後大いに役立ち、今もって市販のソフトは使っていない。

この間、趣味のWalkingを兼ね 名古屋の街角を徘徊。それを題材に、ホームページを作っていた。
『名古屋の街角・本館』『名古屋の街角・別館』は、ほとんどこの頃作ったもの。
また 当時は『今週の風景』と題して、毎週Walkingで見つけたネタを更新していた。

2000年4月

3号機組立て

しばらく、ホームページ作りに いそしんでいたが、『また、何か新しいことをやってみたい』 という悪い虫が動き出した。2号機も古くなってきたので自作パソコンに挑戦。
(自作パソコンといっても少々手抜きで、ミニタワーのベアボーンキットである)  
ベアボーンキット : Aopen BS3400
〔ケース〕    Aopen HT85
〔マザーボード〕 Aopen MX34 (マイクロATX)
音源はオンボード、 FDD、CD-R、電源、スピーカー、キーボード、 マウスは付属
CPU : PentiumV 550E(550MHz)
 (のちに PentiumV 866MHzに変更)
HDD : IBM DTLA307030(Ultra-ATA66+ 30.7GB)
メモリ : SD128PC100/CL2(128MB) 
(のちに PC133/CL3(256MB)に変更)
グラフィックB : Millennium G400(DualHead)
CD−RW : YAMAHA CRW2100E-VK(write×16、rewrite×10、read×40)
(半年ほど後に追加)
OS : Windows98SE
(この時 Windows2000も既に発売されており どちらにしようか迷っ たが、「2000はまだ安定していないので98の方がいいですよ」とのシ ョップの店員さんのアドバイスで98にしたが、あとで2000にしておけば良かったと後悔)

LAN構築

1号機から2号機へ引っ越す時は まだデータ量も少なかったので、フロッピーディスクを 何回か往復させることで出来たが、2号機には写真や音楽も入っておりフロッピーでの移動は しんどい。
そこで、LANを組むことにした。しかし そんなに活用するわけでもない、ドライブの共有 だけ出来ればよいので、お金があまりかからず一番簡単そうな ピア ツー ピアで直結という 方法を採用。
Windows98のファーストステップガイドだけを頼りに試みたので、これでも結構苦労した。

2号機は、バックアップ機および3号機が故障した場合の予備機として活用。 ディスプレイは2台も置いたら邪魔になるので、2号機のものを切り替え機で使用。 (2号機のディスプレイは17インチCRTだったので、結構場所を取る)。
キーボード・マウスも1台にしたかったが、2号機は98、3号機はDOS/Vなので共用 できず、不便ではあるが2台を使い分け。

ホームページのネタも そろそろ尽きかけて きたなと思っていたが、 2001年6月 ちょっとしたきっかけから『山登り』を始めた。
これが また新しい題材となって、ホームページの作成継続。

2002年4月

デジカメ買い換え

山に行けば、美しい風景の写真も撮りたい。我慢して使っていた時代遅れのデジカメ (ホームページに載せる写真くらいなら 十分であったが)を買い換え。

(デジカメ)Canon PowerShot S40(400万画素)

2003年2月

光ファイバー導入

インターネットも普及。以前と違って何でもインターネットで調べられる時代になり、 活用する機会も ぐんと増えてきた。
そうなると、ISDNも時代遅れ。「ADSLを」と思ったが、また電話番号が変わって しまうのも厭だし(当初はISDN専用局の回線をADSLに変えると電話番号も変わってしまった。今は変わらないそうだが) と躊躇しているうちに、 マンションを買い換えることになった(2001年秋)。
新しいマンションの仕様書によると、1MbpsのADSLが引かれることになっている。 契約は2001年秋であったが、完成引渡しは2003年2月。先は長いが それまでI SDNで我慢することにした。

その間ADSLはどんどん進歩し、入居間近になって来ると1Mbpsでは古い、世の中には 24Mbpsが出回っているぞと、期待も半減。
ところが入居寸前の引渡し説明会で、「100Mbpsの光ファイバーに変更になった」とのこと。 「ラッキー!!」 早速申し込む。
指定のプロバイダーに加入しなければならないが、ホームページは30MBまで無料、 メールアドレスも3つまで無料。各部屋にコネクターが設置されているので子供達も 自分の部屋で使用できる。利便性も経済性も格段に向上、良いことばかり。
インターネットを始めた頃は、PC-vanもNiftyもパソコン通信事業だけ でISPではなかったので、別のISP(DremNet)に加入。その後 NiftyやPC-van( Biglobeに改名)もISPになったが、URLを変えたくなかったので、そのままDreamNetを継続。 3つのプロバイダーに加入しており、プロバイダー料金だけでも6,000円/月、電話代を含めると1万円前後かかっていた。さらに子供も別途ISPに加入していた。
DreamNetはホームページ容量が8MBしかなかったので、メインのページをDreamNetに置き はみ出した分はリンクを貼って Niftyに置くという面倒な裏技的なこともやっていたが 今度は1つに統合。
Biglobeはパソコン通信を廃止した時に退会、DreamNetもこれを機に退会、Nifyはパソコン通信やWebフォーラムの巡回に使うだけなので 200円/月のお手軽1コースに変更。子供もISP退会。

新しいプロバイダーは すべて込みで1,990円/月。これだけメリットがあれば URLやメールアドレスが変わるのもやむなし。


引越しを機に古くなったパソコンラックを捨て、ディスプレイも17インチTFT(三菱 RDT175M-A)に買い換え。

今まで使っていた17インチCRT(2号機にセットになっていたもの)の処分に困ったが、家の近くの電器屋に中古買取コーナーがあったのを思い出し、ダメモト(何せ6年半も使ったものだから)で聞いてみたら、「ほとんど値はつかないかもしれないが一度現物を見せてください」と言われ 持ち込んだら1000円で買い取ってくれた。処分料も覚悟していたので即OK。後日その店に行ったら5000円で売りに出されていた。さらに1週間ほど後に行ったら売れたらしく店頭に無かった

2003年11月

4号機購入

待望の光ファイバーで快適。そうなるともっと性能の良いパソコンが欲しくなる。 欲望は限りない。
自作パソコンも考えたが、暇が無いのと自作もあまり安くはないので、コスト パフォーマンスの高い完成機を買うことにした。
日経に毎週のようにDELLの広告が出ており、結構安いのでDELLを考えていたが、 最終的には、e-machinesを 「ツクモ」のネットで購入。 (偶然? 2号機も3号機も ツクモで購入)

e-machines J2812
CPU : AthlonXP 2800+
メモリ : 512MB DDR
HDD : 120GB
OS : WindowsXP HE
DVD±RWドライブ、8-in-1メディアリーダー、LANコネクター、56Kモデムなど標準装備

3号機に入れていたTVチューナーボードを、4号機に移設しようとしたら WindowsXPに 対応しておらず不可(バージョンアップのドライバーも無い)
好きなテレビ番組を録画・編集しDVDに保存することも4号機購入の動機の一つであったので残念。
取り敢えず、3号機で録画し4号機に送って編集をしている。

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