【銃砲刀剣類登録証】
登録番号 大阪 第121255号
種別 刀
長さ 69.0㎝
反り 1.6㎝
目釘穴 一個
銘文 (表)備前介宗次 (裏)安政二年八月日
大阪府教育委員会 平成拾八年九月拾弐日 交付
寸法 元幅:約3.1cm 元重:約6mm
先幅:約2.1cm 先重:約5mm
(測定方法等による誤差は、ご容赦下さい)
茎 先が刃上りの栗尻
鑢 化粧鑢
【御刀の詳細】
この御刀は、姿良く、良く詰んだ地鉄は無地風となり
刃紋は、表裏互の目が揃い、焼刃が健全に入り
匂口刃締り、明るく冴えています。
鋩子は、指表では小丸、指裏では乱れ気味に
小丸に返っています。
僅かなヒケと、鎺元に数箇所の石気が有りますが、
致命的な欠陥はありません。
【備前介宗次】
固山宗兵衛。享和三年奥州白川に固山宗平の弟として生れ、加藤綱英の門人となる。
のちに白川の松平家に抱えられ、弘化二年頃、備前介を受領。
明治五年以降に七十余歳で没したといわれる。
作刀は終始一貫して備前伝であり、刀の出来及び斬味が素晴しく、華実兼備の名刀としての賞賛があつい。新新刀期における備前伝刀工中では第一人者であろう。
地鉄は小板目に小杢がまじってよくつんで美しく、刃文は初期の天保のころは匂出来の華やかな丁子乱れをやき、焼刃の幅に広狭があって地刃ともに冴えており、この頃に宗次のもっともすぐれた作刀が集中している。
弘化、嘉永ころの作刀から次第に丁子の頭が揃って焼幅の出入が少なく、腰開きの互の目丁子を焼いたものが多くなる。
晩年の慶応、明治の作刀は単調な互の目を連続して焼いている。
帽子は初期は直ぐで小丸か、ややたるみごころで小丸に返っているが、天保六、七年ころの作刀から乱れこんで丸く返るようになる。
茎鑢は筋違で化粧鑢をかけており、安政七年からは切鑢に変っている。
以上は『刀工大鑑 決定版』(得能一男 光芸出版 平成十六年) より抜粋
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