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5日目 * 1989.12.28 *



「藤田さん、連絡とれました?《
「いや、まだ出社してないらしい。昼頃だろうって。また後でかけてみるわ。あ、コーフィ、エン、ブレッド、エン、ベーコンエッグ、プリィ《
「なんか、すっかりここの常連さんになっちゃいましたねえ《
「まあ、3日連ちゃん来てりゃあねえ。もう2、3日したら『いつもの』で通じるかな《
「通じんじゃないすか、十分《
「しっかし、新聞記者って、朝遅いんスねえ《
「うん、よくわからんけど、マスコミだもんねえ、その分、夜も遅いんでしょ。あ、ライブハウスの方は?《
「とれましたよ。『ロード・ハウス』ってとこです《
「今日は、誰?《
「へへっ、ちょいと趣向を代えてみました。本日のライブはアルバート・キング《
「アルバート・キング?《
「あら、知りません?《
「さあ、ブルースかなんかのヒトだっけ?《
「そうっス、そうっス。ブルースのギタリストっス《
「BBキングの親戚?《
「・・・に、似たようなもんです《
「そっか、ブルースなら大丈夫だな。いや、連日ご苦労さんだねえ《
「いえいえ、そんなことは《
「そんで、昼間なんですけどね、うちら今日は、五番街の方に行ってみようかっていってたんですけど、どうっすか?《
「五番街?《
「ほら、ティファニーとかある、高級ショッピング街ですよ《
「はあ、あんまりオレとは関係なさそうなとこだけど・・・ま、いっか。付き合うよ《
「そうこなくっちゃ。ま、すぐそこですけどね《

 なんだ、歩いて行けるところなのか。高級ショッピング街なんていうから、えらい遠いところなのかと思ったら。

 相変わらず風は冷たいけど、今日は青空も覗いてる。うん、悪い感じじゃないな。歩いてるのが丁度いいや。しかし、これで寒くなかったらどうなんだろ。他の季節も見てみたいな。年中こんなに寒いわけじゃないだろ。

 あ、あれ、ロックフェラー・センターだよな。なんだか印象が全然違う。ツリーもエンジェルも、そのままだっていうのに。昼間だからか、それともクリスマスが終わったからかな。それじゃ、あれがあの時の教会だ。へえ、こんなに大きかったっけ。りっぱな教会じゃん。これだけ見てるとヨーロッパにいるみたいだな。

 ああ、確かになんとなく高級そうな雰囲気の界わいになってきた。オレなんて、こういうとこ来ると落ち着けなくなっちゃうから、すぐにわかるもんね。でも、一昨日買い物した場所とたいして離れてないよ、ここなんて。ちょいと歩いただけで、こんなに街の印象が違うんだもんな。アメ横歩いてたら、いつのまにかみゆき通りに出ちゃったようなもんじゃん。

 ヒト通りも多いのは一緒だけど、あの時とはどこか違うような気がする。別にそんなに朊装は変わんないんだけど、圧倒的に白いヒトの方が多いような・・・、こっちの気のせいかな。

「ありました。ここですよ、ティファニー《
「はあ、ここかあ・・・《

 なるほどちゃんと石の柱に“TIFFANY & CO.”の文字が直接レリーフされてるわ。
 うーん、やっぱオレには場違いな雰囲気だな。外見だけなら三越って感じなんだけど。しかし、三越だって十分場違いな気になるもんな。

「さ、入ってみますか《
「え、入んの?《
「当たり前でしょうが。せっかく来たんですから。大丈夫っすよ。デパートと一緒です、こんなもの《
「そうなんだけどさあ・・・あ、待て、こら・・・《


 あら、また中は意外と広い・・・、ホ、ホントだ。こりゃ、異常に見晴らしのいいデパートの一階だ。あっちこっちショーケース・カウンターだらけじゃねえか。またすごいな、この人混み。日本人も一杯いるし・・・。

「なんだか、安っぽいねえ、こうなると《
「一階はアクセサリー売り場ですからね《
「え、ここだけじゃないの?《
「上がまだあるはずですよ。行ってみます?《

 ここだけじゃないのか。ティファニーなんて、そんなに売るものがあるのかな。ただの高い宝石屋だと思ってたんだけど。あら、なんだここは・・・。

「下とは、だいぶ様子が違うね《
「そうっすねえ。なんかきらきらしてるような・・・あ、銀か。銀製品ばっかりなんだ《
「はあ、きれいなもんスねえ《
「これだけあると眩しいね。鏡の国って感じ《
「は、鏡張り?《
「あのねえ。鏡の国と鏡張りとじゃ、受ける印象が全然違っちゃうでしょうに《
「うわっ、やっぱ、半端な値段じゃないや《
「どれ・・・へえー、こんなちぃっちゃなお皿が$120かよ《
「小森さん、一桁違う《
「え? な! $1200!《
「いちいち声出さなくていいっスから《
「だ、だれなんだ、こんな皿でカレー食うやつは《
「なんで、カレーなんスか、その皿が。そんなんでカレー食ったら・・・すっごい贅沢かもしんない《
「次行きましょ、次《

 今度はなにここは? お、なんだか落ち着いた文房具屋のような・・・ん? あ、ホントに文房具屋なのか? トランプとか、レターセットまで売ってんぞ。これも全部ティファニーなの? すげえな。なんでもありだったのか、実は・・・。

「この辺のものなら買えるかなあ《
「トランプか?《
「ええ、土産には丁度いいくらいかなと・・・《
「よし、そんじゃ、そのトランプでポーカーでもやろうぜ《
「えぇ、もったいない、できませんよ、そんなの《
「バカヤロ。トランプ、部屋の中に飾っといてどうすんだよ《

 しかし、たかがレターセットで$36かよ。高えな、やっぱり・・・いや、待てよ。これ20枚入りだな。てことは、この封筒とカードをばらせば・・・おお、20人分のお土産。一人頭2ドル弱。しかも、ティッファニー。うん、いいかもしんない。

「よし、これ、買っちゃおう《
「あ、あら。なんか、ティファニーなんて関係ないようなこと言ってませんでした?《
「うるさいねえ。いいんだよ、臨機応変、臨機応変、郷に入らば郷に従え、ローマは一日にしてならず《
「なにをまた、わけのわかんないことを・・・《
「あ、ディス、プリィー。TC、オゥケィ? ・・・オー、サンキュ、サンキュ。やった、ティッファニーの紙袋。へえ、水色なのね《
「あーあ、十分ミーハーになっちゃって《
「さ、次の階行ってみますか《
「なっ? まだ上が有んのか?《
「あるみたいっスよ、ほら《

 なんだあ? これ以上なにがあるっていうんだ。自転車でも売ってんのか。あら、この階はまた全然雰囲気の違う・・・なんだかな、いきなり骨董品屋に出くわしたような・・・。

「瀬戸物ですか《
「バカ、瀬戸物ってことはないだろうが。陶器っていうんだよ。うーんそれにしても、こりゃまた、ティファニーとは思えないような・・・《
「値段は十分ティファニーみたいっスよ《
「どれ? げっ!《
「こういう壷、よく社長室とかに置いてありそうですよね。秘書のOLかなんかが割っちゃったりして《
「どうしてくれるんだ、君。これはニューヨークのティッファニーでなあ。ええい体で払え、体で《
「ひええ、やめてくださいましぃ《
「やめてくださいよ、ホントに。ティファニーなんですから・・・《
「まあ、坂井ってば、けっこうしっかり者。おまえねえ、そういうのが過労死しちゃうんだよ。気をつけないと《
「いいっすから、もう行きましょ。十分見たっしょ《

 ま、こんなところか。しかし、なかなか面白いね、この店。意外に遊べるな。店員さんはちょっと恐そうだったけど。へえ、ここトイレか? まあ、けっこう広々とした・・・あ、こっちは婦人用か。入り口開けっぱなしだから、手前の化粧場しか見えないけど。きれいそうだな。そうだ、ついでに寄って行こっと。

「オレ、ちょっとトイレ《
「あ、オレも行きます《
「なんだよ、またバリと連ションかよ《
「そんな、嫌がんないで下さいよ。もう三日も一緒に暮らした仲なんですから《
「気持ち悪いこと言うんじゃないよ、おまえは・・・あ、あら《
「え? あら。狭いっすねえ《
「狭いどころか・・・なあ、おまえ、さっき女子トイレの方見た?《
「ええ、広そうでしたねえ《
「で、男子トイレはこれか? これじゃ駅の公衆トイレ並だよ。しかも、朝顔と個室が一個だけ《
「あんまり、男は優遇されてないみたいっスね《
「はあ、これでティファニーだもんなあ。こっちの方に金かけてほしいわ・・・あ、バリ、ついでにここで記念写真取っていこうぜ《
「写真ですか?《
「ああ。なかなか取れないよ。ティファニー店内の、それもトイレの中の写真なんて《
「おもしろそうっすね。ちょっと待ってて下さい。中道にカメラ借りてきますから・・・《

 うふっ、これはなかなかいい写真が出来そうだ。



「なに取ってたんすか、いったい《
「ま、いいから、いいから。いやあ、なかなか気にいったよ、ティファニーも《
「あ、すいません。オレ、ちょっとアクセサリー買っていきたいんすけど、いいっスか《
「ああ、いいけど・・・へえ、中道にも、そんな相手いたんだ《
「え? いや、そういうわけじゃ・・・《
「ん? まさか自分のか?《
「なわけないでしょうが。いや、ちょいと頼まれたもんで《
「ふーん・・・いいんじゃなあい?《
「すいませんねえ、時間とらせませんから《
「いいから、いいから。ゆっくり捜しな。その辺ぶらぶらしてっから《

 そうか、そうか。いいやねえ。こういうところで、誰かのためのお買い物。ああ、うらやましい・・・オレだって相手がいれば買っちゃうよ。$80? こんな小さな銀のネックレスが? や、安いもんじゃねえか。安いもんさ、好きな相手のためならば。そういう相手が出来てから来たかったなあ、ここには。日本に戻ってからじゃ遅いじゃんねえ。二度と来れるかどうかわかんないよ、ニューヨークなんて。そうだよな、ニューヨークのティファニーで、彼女のためのお買い物なんて、二度と出来ないかもしれないんだよな。ああ、そう考えるともったいない。こういうのちょっと、クリスマスにでも渡せたら。ああ、来年の今頃はどうしてるのかしら。その時、彼女がいてもなあ・・・。

 ん、買っといてあげればいいんじゃねえか? そうだよ、腐るものでもあるまいし。先に買っといてあげればいいじゃない。え、でも誰のために? いや、だから誰だかわからない子のために。しっかし、けっこう虚しいんじゃない、その行為。ま、確かに虚しいちゃ、虚しいけどさあ・・・。

「あ、すいません(違うわ)。エクスキューズミ・・・《
「はい《

 あら、日本人の店員さん。

「あ、これ、下さい《
「かしこまりました。少々お待ち下さい《

 はあ、つまんねえなあ。日本で買い物してるみたい。

「あら、どうしたんスか? オープン・ハートなんて買っちゃって《
「なにそれ?《
「は? あ、そのネックレスの吊前ですよ。知らなかったんスか?《
「うん、適当・・・《
「はあ・・・。また、そんなこと言っちゃって、いいヒトいたんスね?《
「うんにゃ《
「またまた、隠さなくたっていいじゃないっスか《
「ホントだよ《
「え? まさか、自分用?《
「なわけねえだろうが。来年のクリスマス用だよ《
「来年? もう予定、決まってんすか?《
「いいや。来年ムダになったら、さ来年用だな《
「あ、あの・・・、お目当ての相手って、いるんスか?《
「いいや。これから捜さなきゃね《
「・・・要するに、誰だかわかんないヒトの為のプレゼントってことっスか?《
「ま、そういうこっちゃねえ。うん、なかなか理解力あんじゃん《
「はあ・・・なんかそれ、虚しくないっスか?《
「うん、ちょっと・・・あ、やっぱそう思う?《
「いや、まあ・・・《
「でも、ほれ、腐るものでもないから《
「そ、そうっスね・・・《

 ふーん、こりゃまた、だだっ広くて賑やかなレストランだこと。

「なんていったっけ?《
「デリカテッセンですよ。やっぱ、五番街の近くで昼食っていうとここでしょ《
「どうでもいいけど、よく知ってんな、こういうとこ《
「ええまあ。ちゃんと『地球の歩き方』読んでますから《
「なんだ、坂井も持ってんのか《
「一応、基本ですから《
「あ、そうだ、忘れてた。オレ、藤田さんに電話しなくちゃ。この店、電話あるかな?《

 あった、あった。しっかりあった。やっぱでかいだけあるわ。いい加減このばかでかい公衆電話にも慣れてきたね。さーて、今度は繋がるかな・・・、

「・・・はい、お電話変わりました。藤田です《

 ああ、やっと藤田さんと・・・、はて? こんな声だったっけ?

「あの、どうも、小森です《
「あー、こりゃ、どうも。いや、悪かったねえ、なんか行き違いになったらしくて《
「い、いえ、とんでもない、こちらこそ、お忙しいところにお邪魔して・・・《
「いつまでこっちにいるの?《
「あさっての朝までなんですけど《
「あ、そうなの?《
「やっぱ、お忙しいですよねえ《
「うーん、ちょっとね・・・、いや、でも・・・、そうだな、今晩は予定入ってる?《
「あ、一応、ライブハウス予約してるんですけど《
「そう。じゃ、それ終わってからでもかまわないかな?《
「はあ・・・、あの、こっちは大丈夫ですけど。藤田さんの方は大丈夫っスか?《
「うん。その時間なら、まだ社に残ってると思うから。そうだな、それ終わってから、こっちに連絡してくれないかな?《
「いいですけど、なんかすいません、お忙しいとこ、ホントに《
「いやいや、せっかく日本から来てもらったんだし、僕もなんとか会いたいと思ってたんだよ。それじゃ、申し訳ないけどそういうことで《
「わかりました・・・《

 ふうっ。こんなに藤田さんと話したのなんて、初めてだよな。いいヒトじゃんねえ。ああ、よかった。しかし、ライブ終わる時間なんて、真夜中近くだぜ。知ってるよな、そんなこと。それじゃ、そんな時間まで働いてるってことか。しかも年末だよ。うちの会社だって、今日で仕事紊めじゃなかったっけ? はあ、新聞記者ってたいへんなんだあ・・・。

「・・・ホントですねえ《
「いや、逆に年末の方が忙しいんじゃない?《
「ああ、そうかもしんない。なんかオレたち、そんな時期に押し掛けて来ちゃって、悪いことしちゃいましたかねえ《
「うーん。まあ、来たことは喜んでくれてるみたいだったけど《
「しかし、これでなんとか藤田さんには会えそうじゃないっスか。やっと本来の目的が達成できますね《
「本来の目的ねえ・・・《

 藤田さんに連絡ついたせいか、なんとなく胸のつかえが取れた感じ。あの店も意外にいけたし。こっちのレストランの味なんて期待してなかったんだけど、あのハムサンド、もう一皿食ってもよかったな。うん、満腹でぶらぶらしてると気分がいいや。ティファニーの紙袋もぶらぶらしちゃってまあ・・・。

「あ、カーネギーホールだあ《
「へえ、意外と地味だねえ。古くせえー《
「いやあ、格式でしょう《
「はい、とりあえず、写真、写真《

「ハードロック・カフェだあ《
「なんで、あんなとこに車がぶらさがってんだ?《
「よそと違いつけるためじゃないっすか《
「はい、とりあえず、写真、写真《


「ホリディ・インだあ《
「高そうなホテルだなあ《
「高いでしょうね、値段も《
「はい、とりあえず・・・《
「ここはいいんじゃねえか?《



 ふーん、こっち戻るとブロードウェイに繋がるのか。いつのまにか劇場街が見えてきた。こっちから来ると、また雰囲気が全然違うな。ホント、飽きない街だわ。

「ミュージカルっていうのも見てみたいね《
「そうっスねえ《
「でも、あれはなかなかチケット手に入んないでしょ?《
「あ、そうなの?《
「いやまあ、流行ってないヤツだったら簡単かもしれないですけど《
「あんまりつまんないの見ても、困っちゃうしねえ《
「寝ますよ、それは《
「だいたい、けっこう高いんでしょ《
「あ、あれね、なんか安くなるところがあるらしいよ《
「え? なにそれ、金券屋?《
「いや、ちゃんと合法的なところで、その日の余り券とか半額くらいで売ってるらしいっス《
「へえ、それいいねえ《
「確かタイムズ・スクェアの近くっスよ。そのうち見えるんじゃないですか。ちょいと覗いてみますか《

 なんだかアメリカっぽい話だな。妙に紊得できるわ。こういうとこいいなあ。そうだよ、余ったチケットとっといたってしょうがないもんね。日本じゃダフ屋のおじさんじゃないとやらないことだよな。しかしなんだね、閉店間際のスーパーって感じもするわな。

「あ、あれじゃないっすか。うわ、もうあんなに列が出来ちゃってら《
「え? あの柵で仕切られた、赤い掘っ建て小屋のこと?《
「そうっスよ。ほら、あそこに“TKTS”って書いてあるっしょ《
「はあ・・・、おまえ、あんなの知らないで見たら、ただの革マルの集会所だぜ《
「とりあえず、ミュージカルは明日にお預けしますか。あれじゃあねえ・・・《

 さてと。もう暗くなってきたことだし、ホテルの近くまで戻ってきたのはいいんだけど、なんだか中途半端な時間だな。

「バリ、もうちょいこの辺ぶらぶらしてみねえか《
「え? あ、いいっスよ《

「オレらは部屋に引き上げますけど。あ、それじゃ戻ってきたら連絡もらえますか《
「うん、わかった《
「ついでにカメラも貸しときますよ。適当に取ってください《
「あ、悪いね。そんじゃ一応借りとくわ。別になんも取るもんないと思うけどね・・・《

 遠くにエンパイヤステートビルの明かりが見える。何度見てもこころ引かれる光だよな。ほかにも高いビルは一杯見えるのに、あそこだけ特別だ。白い帽子被ってるみたいだし、天辺に赤い角があるんだもんな。気がついたらあっちに向かって歩き出してしまうなんて。これじゃ蛍光灯に誘われる虫じゃねえか。

「なあ、あの建物なんだろ?《
「ああ、あれ、市立図書館ですよ。ほら、あそこにライオンの像があるじゃないっすか。有吊なんですよね《
「へえ、よく知ってんじゃん。図書館なのかあ。いいなあ、あんなでっかい図書館。オレこの辺に住んでたら毎週行っちゃうな《
「なかなか日本にゃないですよね、ああいうでかい図書館は《
「うん。国会図書館なんてあったけど、あんなとこにあってもめったに行かないもんねえ《

 あの信号のところにいるヒトはなにやってるんだろ。あの格好じゃ、警備員だけど。え? あれ、女のヒトか。どうも小さいと思ったんだよ。帽子と頬かぶりしてるマフラーの間から銀髪が輝いてる。なんかロシアのヒトみたい。かっこいいなあ。なかなかいい味出してんじゃん。

「あのお姉さんと一緒に写真取りたいな《
「え? あのヒトですか? さあ、取らせてくれますかねえ。なんか恐そうですよ《
「そういわれてみれば、確かに・・・それじゃあさ、オレがあのお姉さんの近く通るから、すれ違ったところでシャッター押してよ《
「いいっスよ《
「よっしゃ、まかせたよ《

 こりゃ隠し取りってヤツだな。そう考えるとちと興奮するな。でもこのヒト、なんかニューヨーク感じるよ。なんだろこの雰囲気は。あ、目が合っちゃった。あの視線。あんた何って感じ。い、いえ、私はただの通行人なんすけど・・・カシャ。


「どう、ちゃんと取れた?《
「ええ、しっかり二人ともカメラ目線になってましたよ《
「え? あの姉ちゃん、見破ってたんか?《
「そうみたいっスね《
「うーん、やはりただ者じゃなかったか・・・《

 ・・・

「結局、エンパイヤの根元まで歩いて来ちゃったな《
「せっかくここまで来たんだから上ってみますか?《
「そういえば、まだこのビル上ったことなかったねえ《
「まあ、わざわざ行こうと思わなかったですからねえ。ホテルのすぐ側だし《
「よし、行こうぜ《

 そうだな。この時間だったらきっとマンハッタンの夜景がきれいだろうな。ああ、見てみたい・・・あ、あら、“CLOSED”? えっ、もう終わっちゃったってこと? うそ、早いんじゃないの。まだ六時過ぎだぜ。なになに、“ 9:00 - 18:00 ”。うっ、これって・・・、

「ぎりぎり間に合わなかったってことですか《
「そうらしいな《
「あらまあ、なんと間の悪い《
「あー、チクショウ、さっきまでたいして上りたくもなかったのに、なんかすっげえ搊した気分だな。こうなったら、えらく上りたくなってきた。ええい、バリ、絶対ここから夜景見るぞ《
「いいっスけど、明日じゃないともう上れませんよ《

 そうだった。明後日には、オレたちもう帰っちまうんだ・・・。

 連日休む間も惜しんであっちこっち出掛けているっていうのに、まだまだ行きたい場所が次から次へと出てきてしまう。それもこのマンハッタン島だけに限った話でだ。誰もナイアガラまで行きたいっていってるわけじゃない。なにも考えなければ、丸一日で端から端まで歩けそうなくらいに小さな島だっていうのに、なんだって、こんなにいろいろなものが詰まってるんだ、まったく。やっぱり、都会だからだろうか。そうだな。そう考えれば、ここは間違いなく世界一の大都会だ。なんでもかんでも、全部集まってくるところだ。

 その大都会のライブハウスに、こうして今夜も辿り着いたわけだ。店の吊前は“ROOD HOUSE”か。外は小ざっぱりしてるようだけど・・・あ、ちゃんと今夜の出演バンドが書いてある。ん? “DOG MAN”? なんじゃそりゃ。ああ、その下には“ ALBERT KING ”って出てるわ。前座付きなのかな? あ、こんなところに写真が飾ってあるわ。あれ・・・?

「ね、これって、B.B.キングじゃないの?《
「そうですね、記念写真でしょ。あ、ほら。こっちの端の写真、これアルバート・キングですよ《
「え、これ?《

 なんか顔だけだと区別が付かないけど。こんな太った体格の黒人なんて見分けつかないし。でも、こっちのおっさんはヘビメタみたいなギター抱えてる。

「なんてったっけ、このギター?《
「フライングVっすか《
「あー、それそれ。これでブルース演るヒトなの?《
「そうっス。このヒトのフライングVって、けっこう有吊なんスよ《
「ふーん・・・《

 なんか、このギターとブルースって似合わねえなあ。これでわびしさ出るのかしら。いいや、とりあえず店の中に入ってみよう・・・。

 こりゃまた、広い店だなあ。いや、奥行きはそんなにないのかもしれないけど、天井が高いんだ。え、そっち? ちゃんと座る場所が決まってるの? あら、階段・・・二階? へえ、上から見下ろせるようななってら。真ん中が吹き抜けになってて、その周りにぐるりとテーブル席が並んでるのか。あ、ここ? ふーん・・・。

「そんなにステージから離れてませんね《
「うん、斜め前くらいか。ああ、でもいいや、ここ。こうやって欄干に頬杖突いて見てられらあ。芝居小屋みたいな感じ《
「店の造りは西部劇っぽいけど。なんか、昨日までの店とは全然違うね《
「とりあえず、なんか食お。どうします?《
「ああ、適当にまかすよ。あ、飲物ビールでいい《
「あれ、舞台でなんかセッテイングしてるよ。前座かな《
「みたいだねえ。白人じゃん《
「また、ガタイいいよなあ。どんなの演るんだろ。あの格好じゃ、いかにもテキサスって感じだけど《
「ジーパンにネルシャツじゃ、ただの普段着だろが《

「三人だけみたいっすね。ふーん、ギターにベースにドラム・・・必要最小限だな《
「ポリスでも演るんか《
「えー、古いぃ《
「P.P.M かな《
「誰ですか、それ?《
「で? おどれら、ピーター、ポール&マリー知らないの?《

 お、いきなりドラムのロール。あっ、ああっ、いい、この音。すげえ、いいじゃん、いいじゃん、こいつら。こりゃロックだ。それもハード・ロックだ。70年代バリバリだあ。ギターがボーカル取り出した。なんだろ、この曲、聴いたことないけど。ああ、でもこの曲調は、なんだかやけに懐かしい・・・。

「いいねえ、このバンド《
「カッコいいっすよねえ《
「ドラム、うまいよなあ《
「さっきのオリジナルか?《
「じゃないっスか。聴いたことないっスけど《
「あいつら、プロかな?《
「さあ、どうだろ《

 もう次の曲が始まった。ん? あ、このイントロ。え、えーと・・・、

「な、なんだっけこれ?《

「あれですよ、あれ。えー・・・あ、そうだ、『リトル・ウィング』!《
「それだ、それ! クラプトンの方のヤツだ《

 ここでこんな曲が聴けるなんて。この曲、昔コピーしたんだよなあ。あっちはジミヘン・バージョンだったけど。そんだ、確かスティングも唄ってた。あれは全然違ってたけど。ああ、そうそう、このリフ・・・。

「いいなあ・・・《
「やっぱ、知ってる曲が出てくると、いいっしょ《
「演奏うまいからねえ。ヘタなのが演ると、ぶん殴りたくなるけど《
「でも、コピーも演るんだ、このヒトたち。やっぱアマチュアかな《
「微妙なとこってヤツなんじゃないの。そんなのゴロゴロしてるから《
「とりあえずなんでもいいよ。こういうのが聴ければ。ああ、オレもう今日いいぞ《
「そんな、まだアルバート・キングが残ってんスから・・・《

 お、今度の曲はまたアップテンポな曲だけど、うーん、聴いたことないなあ。いや、オレが知らないだけで全部コピーだったりして。

「なあ、これ知ってるか?《
「さあ。なかなか乗りのいい曲ですけどねえ《

やっぱオリジナルかな。てことはさっきのはサービスか? ま、なんでもいいや。知らない曲でも乗れるや・・・。

 ヒューヒュー。あれ、もう終わりなの。あー、引っ込んじゃった。もうちょい演って欲しかったなあ。ほら、他の客もけっこう声援してるよ。そういうわけでもないのかな、これは。おお、こうして見るといつのまにか満員になってる。それもなんか昨日のブルーノートとは、全然客層が違うような。日本人の姿なんてどこにも見えないや。外人もなんか地元ばっかりって感じだし。

 ふーん、こういうとこは、あんまり観光客は来ないのか。なんだかなあ、ハービー・ハンコックよりはさっきのバンドの方がよっぽどよかったけど。しかし、『リトル・ウィング』なんて知らないか、普通人は。いやあ、あれ知らなくても楽しめるだろう、今のバンドは。ライブハウスの場所見に来るんなら別だけどさ。

 ステージの上はもう次のセッティングに入ってる。ああ、あれはアルバート・キングのバックだろ。さっきの編成にキーボードが加わっただけだけど、今度は全員黒人だ。しっかし、なんだってまた、あんなにはっきり分かれるのかね。白人と黒人が一緒に演ってるバンドなんてめったにないもんな。そういう意味じゃ、どこかに融合出来ないものがあるのかもしれない。人種差別とか、そういうのとは違うところだろうけど。だって、ジャズやブルースじゃ、黒人に勝てないもんな。だいたい、元々あのヒトたちの音楽なんだから。それでいうと日本人がホントに勝てるのは、琴と三味線になるのかもしれないな・・・。

 あ、音出し始めた。

「ねえ、アルバート・キングは?《
「さあ、まだ出てこないみたいっすね。あそこにフライングV置いてあるから、そのうち出てくんじゃないんスか?《
「あれでしょ、ほら、アート・ブレイキーの時のパターン《
「ああ、要するにもったいつけてるわけやね《
「いやあ、こういうステージングなんだろうけど。だいたい、ショー化されちゃってんだろうね《
「でも、バックだけでもけっこういけるんじゃない《
「うん、なかなかねえ《
「あのドラム、なんなんだろ。たいしてうまくないんだけどなあ。なーんか、味があるっていうか・・・《
「お、さすがドラマーだね、バリ。見てるところが違うや《
「いや、っていうか。うーん・・・《
「あのギターはうまいよ《
「いや、オレ、キーボード気に入ったなあ。ハモンド・オルガンみたいな音出してんじゃん《
「これ、アルバート・キング、いらないねえ《
「いや、そんなことはないだろうけど・・・《

 バックだけで、もう三、四曲演ってる。これもほとんど前座だな。うわあ、しかし、あのキーボード・ソロはなかなか。そうか、ジョイ・ステックってああいうふうに使うのか。えー、出来ねえよ、あんなの。お、リズム回しになってきた。これはそろそろなのかな。ああ、ベースの奴が前に出てきた。

" Ladies and Gentlemen , ---- "

 かあ、いかにもだね。うーん、すごい歓声。そりゃ、これだけもったいつけりゃねえ。

" Mr--. ALBER~T KING ! "

 なんちゅう、仰々しい呼び方すんだ。あーるぶわぁーーと・くうぃんぐ、に聞こえるわ・・・あれ?  出てこないよ。

" ・・・ALBER~~T KING ! ALBER~~~T KING ! "

「まあだ、出てこないっスか《
「なんか、だんだん激しくなってきたけど。おうおう、ずいぶんもったいつけんじゃねえか《
「まさか、どっかで倒れてんじゃないでしょうね?《

" ・・・ALBER~~~~T KING ! ALBER~~~~~T KING ! "

「なんか、だんだん、あのお兄さん、泣き声になって来たような気がするんですけど《
「ああ。ありゃ、あのお兄ちゃんもいつ出て来るのか知らないね。おまえ出ていくまで、ずっと呼んでろって言われてんじゃねえの《
「なんか、えっれえ、可哀相《

" ・・・ALBER~~~~~~T KING ! ALBER~~~~~~~~T KING ! "

「いったい、どこにいるんだよ《
「あー、あれだ!《
「なっ、いつのまに・・・《

 いきなりスポット・ライトに照らされた先は、最前列の一番端、オレたちがいる場所から真正面に見える位置のテーブルじゃねえか。そこに一人でどっかと座っているあのデブのおっさんは、かあ、あれじゃマフィアのボスだぜ。三揃えのスーツに白いマフラー、シルクハットを目深に被って、まあ、そのうえ葉巻まで喰わえてる。

" ・・・ALBER~~~~~~~~T KING ! ALBER~~~~~~~~~~T KING ! "

 おお、シルクハットを取った。なんてでっかいサングラス。あ、笑ってる、笑ってるよ、おい。まあだ、もったいつけてんぞ、あの親父。どおっっこらしょっと、立ったあ。ああ、いちいち愛想振りまいてやがる。

" ・・・ALBER~~~~~~~~~~T KING ! ALBER~~~~~~~~~~ "

 可哀相に。あのお兄ちゃん、もう声かすれてきてんぜ。あーあ、ステージむかうのもゆっくり、ゆっくり。軽くステップ踏んでるよ、おい。完全に楽しんでんなあ、この親父。やっとステージに辿り着いたか。

" ・・・ALBER~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~T KING !! "

 お兄ちゃんの力尽きて、やけくそがかった最後の呼称。それでも続くリズム回し。おお、やった。とうとうフライングVを持ったぞ。うわっ、なんてギターが小さく見えるんだ。お、弾くのか、ついに弾くのか・・・。

 kun, ku~~~~n

「なんだあ?《
「いきなりチューニング始めちゃった《
「おいおい、たまんねえなあ《

 あれだけもったいつけて登場して、挙げ句の果てに音合わせだって? まあ、しかも、たっぷり時間をかけてからに。や、やっとまともに弾き出したか。あ? この曲・・・? もう終わり? はあ、なんちゅう疲れる登場の仕方だったんだ。なんかずいぶん機嫌よくしゃべり出したけど、なに言ってんだろ。おっと、これはまた、どブルース・・・。 

「な、なんか、いまいちなんじゃねえか《
「ピッキングなんてめちゃくちゃですね《
「バックは安定してんだけどねえ《
「でも、なんか恐々してない?《
「うん。大将出てきてから、えらく萎縮しちゃってるような気がする《

 大将の方は、またべらべらしゃべりだしたのね。今度は前の客と話してんな。“OK, OK”って、リクエストでも聞いてたのか? あ、始めた・・・ん? な、なんか、ちぐはぐな感じ・・・、

「なあ、この曲、打ち合わせになかったんじゃない?《
「そうですねえ、バックがとまどっちゃってますね《
「キーボード、呆然としちゃってるよなあ。あ、ベースが寄っていって耳打ちしてる。なにあれ、コード教えてもらってんのか?《
「うっそだろ。あ、弾き始めた《
「えらい戸惑ってるみたいだけど。あー、泣きそうな顔してるよ。あいつ、この曲弾くの初めてなんだろうなあ・・・《

 大将の方は、やはりそんなことにはおかまいなしにソロに入ってる。やっぱ、安定してないなあ。酔っぱらってんじゃねえか、あれ。ま、それでも客は喜んでるみたいだけど。

 今度の曲は打ち合わせ通りなのかな。やっとバックが落ち着いて来たみたいだけど・・・あれ、出てきた時と同じようなリズム回しになってきた? おいおい、まさか。あら、ギター外しちゃったぞ、あの親父!

「えー、もう終わりかあ《
「あっ、またあのお兄ちゃんが・・・《

" Mr--. ALBER~T KING ! ・・・ALBER~~~T KING !"

「あちゃあ、同じ展開で退場かよ。とうでもねえ、わがままなステージ《
「おいおい、またもったいつけ始めたよ《
「あーあ、あのお兄ちゃん、また連呼してるよ。きっとまた帰り着くまで言ってなきゃいけないんだろうなあ《

 ・・・ALBER~~~~T KING !
 ・・・ALBER~~~~~~T KING !
 ・・・ALBER~~~~~~~~T KING !
 ・・・・・・・・・

 あらら、どこ行くのかと思ったら、元いたテーブルに戻って飲み始めちゃったよ。最後にまたベースのお兄ちゃんが声張り上げて、あるぶわぁ~~と、くぃ~んぐ、でしたぁてか? 残ったバンドはそのまま別の曲に入っていったな。可哀相に、こいつら。あの大将には苦労させられてんだろう・・・。

 ・・・

「もしもし、夜分恐れ入ります。小森といいますが、藤田さんをお願いしたいんですが《
「あ、小森さんですか? 伺ってます。申し訳ありません、藤田はたった今、出たところでして・・・《
「え? そうなんですか?《
「ええ、それで、これから言う場所で社の人間と一緒に飲んでいますので、よろしければそちらの方に来てもらえないかということなんですが《
「はあ・・・、あ、あのでも構わないんでしょうか?《
「ああ、大丈夫ですよ、内輪ですから《
「そうですか・・・《
「それじゃ、場所お教えしますので。ちょっと、わかりづらいところなんですけど・・・《

 そうか、藤田さんもう出ちゃってたか。そろそろ夜中だもんな。それにしても、若そうな声の女の人だったけど、こんなに遅くまで会社にいるなんてなあ。

「どうです、連絡つきました?《
「ああ。先に飲み行っちゃってるらしくて、そこに来てくれっていうんだけど《
「今から行って、間に合うんスか?《
「うん、さっき出たばっかりだって。だいたい朝までいるらしい《
「はあ、やっぱ時間帯が違いますね《
「でも遅くなっても悪いし、とりあえず行きますか《
「ああ、そうしよう《

 ステージの上には、また『DOGMAN』が出てきて演奏してる。こいつら見ていたい気もするんだけどな。

「あれ、あそこで飲んでるのアルバート・キングじゃない?《
「え? あ、ホントだ《

 目の前のカウンターで、にこにこしながらウェイトレスと話してる。周りには他に誰もいないじゃん。なんかすごい気楽な雰囲気だこと。

「一緒に写真取らせてもらいましょうか《
「大丈夫かな?《
「さあ・・・《

 全然、大丈夫だな。それどころか、日本から来たって言ったら、すごく喜んで肩まで組んでくれちゃった。なんかヒトのいいおっさんじゃんねえ。うわぁ、近くで見ると・・・また一段と黒いなあ・・・。



 ・・・

「この辺でいいんスか?《
「うーん・・・番地はあってるみたいなんだけど《
「しっかし、なんにもないとこですよ、ここ。何ていう店でしたっけ?《
「『キタゾノ』とかなんとかいう店らしいけど、でも、表に看板は出てないって言ってたからなあ。ビルの二階にあるって・・・あ、これかな《
「えーっ、こんなとこに飲み屋あるんスか?《
「さあ・・・とりあえず、行ってみよ《

 ホントにここでいいのか? どう見てもマンションだけど。外には白い鉄柵があるし。ここは開いてるけど。直接二階に上る階段がある・・・なんか、忍び込んでるって感じだな。こんなとこで、おまわりさんでも来たら、うまいこと言い訳できねえぞ。あ、ドアに“KITAZONO”って書いてある。やっぱここでいいのか。でも、これ・・・、

「どうしました?《
「う、うん。ここみたいなんだけどさあ・・・《
「はあ・・・なんか、ヒトん家の玄関みたいですね《
「だろ。ホントにここでいいのかな《
「さあ。聞いてみるしかないんじゃないっスか?《

「聞いてみるったって、おまえ、今何時だよ?《
「もう1時回ったところです《
「そんな時間になあ・・・《
「でも、どうします?《
「・・・ねえ《

 ええい、しょうがない。とりあえず、このインターフォン押してみっか。ああ、なんかすげえ嫌な予感がする。ホントに『キタゾノ』でよかったのかな。『キタザワ』とかじゃなかったっけ? 疑い出したら切りがねえぞ。電話だったしなあ。ああ、スペル聞いときゃよかった。ええい、ままよ。

「・・・はい?《
 と、とりあえず日本語だ。
「あ、あの、こ、こちらは飲み屋さんでいいんでしょうか?《
 かあ。なんだよ、この間抜けな質問は・・・。

「・・・はい、飲食業を営んでますが《
 ほ、ほぉーっ。
「あの、こちらに藤田さんという方がいらっしゃってると思うんですが《
「・・・はい? 少々お待ち下さい・・・あ、どうぞ、お入りになってください《

 おお、やっぱりここで良かったのか。一時はどうなることかと思ったけど。へえ、こんなとこに飲み屋があるんだねえ・・・こ、これは。

「いらっしゃいませ。お召し物、お預かりしますよ《
「ど、どうも・・・《

 イブニング・グレス着たお姉さん。薄暗いホール。レジ・カウンター。カラオケの音が聞こえる。ああ、これ『安奈』だ。

「どうぞ、こちらへ《
「はあ・・・《

 縦長の空間にカウンター席とテーブル席。ミラーボール。カラオケのディスプレイ。ま、まるっきりカラオケ・スナックじゃないか、ここは。え? 唄ってんの藤田さん? あ、どうも・・・。

「どうぞ《

 四人掛けの低いテーブルとソファ。袋に入った割り箸、小さなお通しの器。

「お飲物はどうなさいますか?《
「あ、あの・・・《

 だめだ。三人ともまだポカンとしてる。そりゃ、そうだろ。

「じゃ、すいません。とりあえず、ビールで・・・《
「はい。他の方もビールでよろしいですか?《
「あ、はい・・・《
「かしこまりました。少々お待ち下さい・・・《

 あのお姉さんもニューヨーク在住ってことか・・・ああ、信じらんねえ。

「いや、まいりましたね、しかし・・・いきなりだもんなあ《
「こんなとこあるんだねえ、やっぱり《
「それも、ほとんどニューヨークのど真ん中ですからねえ《
「ああ、ツアーじゃ絶対見れないな《

 中にいるのは客も店員も皆日本人。オレたちが座って、これで満員か。ほとんどビジネスマンばっかりだな。ネクタイがやたらと目立つ。それからおじさん。これじゃ、オレたち最年少じゃねえかな。オレだって、この格好で、こいつらと一緒にいたんじゃ学生に見えるだろうし。ずいぶん浮いてるような気がするな。あ、藤田さんが唄い終わったのか。

「や、どうも。悪かったねえ、こんなとこまで呼び出したりして《
「い、いえ、とんでもないです。オレたちの方こそ、お忙しいところに。あ、こいつら初めてですよね・・・《

 あら、すでにけっこうお酒入ってるかな。目の周りが赤くなってる。藤田さんって、お酒弱かったっけ。そういや、一緒に飲んだことなんてないな。こっちは、三人とも緊張しちゃって、まあ。そりゃそうだよな、初対面の先輩だもんな。それも憧れの・・・。

「どうも初めまして《
「どうも・・・あの、お噂はかねがね《
「ああ、どうもこちらこそ。いや、しかしうれしいよ。わざわざ日本から訪ねて来てくれるなんて。ああ、あっち座ってんの、うちの社のヒトたちなんだ。ほら、伝言伝えてくれたのあの子。遅れてさっき来たんだけどさ《
「そうっスか・・・《

 へえ、見た目も若い普通の子だな。あ、どうも・・・。

「あの、ここへは、よく来るんスか?《
「うん、そうだね、よく来る方かな。結局、こういうところに来ちゃうんだよな。驚いただろ、こんなとこ《
「そうっスねえ《
「悪いな、もうちょっとまともなところに連れて行こうと思ったんだけどさ《
「い、いえ、そんなことないっス。普通、こんなとこ入れないっスから・・・《
「そりゃ、普通行かないさ、こういうことは。ここはニューヨークじゃないからね《

 確かにここは違う場所のような気がする。

「あの、こっち、もうどれぐらいになるんですか?《
「そろそろ二年だね《
「あれ、そんなになりますか。へえ、ニューヨーク行くって聞いたの、ついこの間のような気がするんですけど《
「いやあ、早いもんだよ《
「まだ、こっちにいらっしゃるんですか?《
「さあ、あと一、二年はいるのかな。だいたいは三年から五年勤務だから《
「はあ、そうっスかあ・・・、たいへんですねえ・・・《
「いや、慣れればそうでもない。どう、けっこうあっちこっち行けた?《
「ええ、まあ。ライブハウスとかばっかしですけど。いやあ、一週間じゃ、とても回りきれませんね《
「そうかもしれないね《
「あ、ヘリコプターに乗りましたよ《
「ヘリコプター?《
「ええ。あの、自由の女神の上とかに飛んで行くやつなんですけど《
「ああ、聞いたことある。へえ、すごいね《
「やっぱ、乗りませんか、ああいうのは《
「うん、乗ったことない《

 やっぱ、そうだよな。住んでるヒトは乗らないだろ、ああいうのは。

「しかし、こっち寒いだろ《
「あ、それはもう。いや、こんなにも寒いとは思わなかったスね《
「今年は特に寒いんだ。記録的なんだよ《
「そうなんスか?《

 あーあ、なんでまたそんな時に来ちゃったのかねえ。

「あの、お住まいの方はどこなんですか?《
「今は、十番街の方だけど《
「お家賃はどれぐらいですか?《
 はあ、なるほど聞きたくなる質問だわな。
「1,800ドルだったかな《

 ん、1,800? それって1ドル、150円で計算すると・・・えっ。 「2、27万!《
「うそ!《
「す、すごいとこ住んでます?《
「そうでもないよ。あそこは社の方で借りてくれたものだから。家賃も半分は出てるし《
「それにしても・・・《
「あの、やっぱ、マンハッタンって、家賃高いんスか?《
「いや、うちはちょっと高すぎると思うけど。でも、そうだなあ、高いんかな、やっぱり。多少場所にもよるけど《
「そうそう東京と物価変わんないんですか?《
「さあ、なんともいえないけど、そんなに暮らし易いわけでもないんじゃない《
「いやあ、しかし、いいっすよねえ。ここで働いてるなんて《
「そんなことないって。けっこう皆、ニューヨークなんていうと、すぐかっこいいとかいうけどさ。そんなことない。うん、そんなことないですよ。確かにね、オレもそう思ってたことがあるけど。でもね、一緒だよ。どこに住んでも、結局一緒。格好悪いところなんて、いくらでもあるし。いくらでもあるんですよ。そ、一緒なんです。どこでも、一緒・・・《

 ・・・

 やっぱ、藤田さん、いくらか酔ってたのかもしれないなあ。あっちのテーブルに戻って、船漕いでるみたい。そうだよなあ、こっちだってどうしようかと思ったけど、藤田さんの方でも、会ったこともない後輩に会うんだもん、いくらか考えちゃうよな。どうやっても、ニューヨーク勤務のすごいヒトって目で見られちゃうんだから。そっちの方がプレッシャーかかっちまうよな。それ、ふりかざすヒトでもないみたいだし・・・。

「やっぱ、カッコいいっスね、あのヒトは《
「うん、どこに住んでも一緒なんて、なかなか言えないよね《
「やっぱ、住んでみて初めて言えることだよな。いやあ、やっぱ会えてよかったっスよ。これも小森さんのお陰っス《
「そう? そういってもらえっと、ついてきた甲斐があるってもんだけど《
「そりゃそうっスよ。小森さんいなかったら、会えなかったスから《
「とりあえず、肩の荷はおりたか《
「これで、旅の目標は達成できたね《
「目標ねえ・・・なんか、まだ行きたいとこ一杯あるけどなあ《
「早いよなあ、やっぱり。なんのかんのいって、あと明日一日だもんね《
「いや、もう今日だよ《
「ああ、やっぱ一週間じゃ足りねえなあ《
「それだけ充実してたってことじゃん《
「そうなんですかねえ《
「そうだよ。なかなか、こんな旅できないよ・・・《

 ・・・

「いや、やっぱオレも、ハーレム行ったのは間違いだったと思う《
「そうっスか?《
「そうだよ。だいたいあそこは観光地なんかじゃないんだから。オレたちみたいなのが、面白半分で行くような場所じゃないんだよ《
「別に、そんなつもりは・・・《
「危険な場所だからとかなんとかなくてもさ、なんか、ああいう貧しいところを見てやろうっていうこと事態が、あそこに住んでるヒトに対してすげえ失礼なことなんじゃねえか?《
「いや、オレはただ・・・なんていうか、ハーレムの街角歩いてて、どっかの教会から子供たちが唄うゴスペルでも聞こえてきたら、いいだろうなあって思って・・・。そういうのいいと思いません?《
「ああ、そりゃロマンチックだけどさ。でもな・・・《

 ・・・

「うわあ、『奥飛騨慕情』だってよ《
「渋いっスねえ。なんかさっきから演歌ばっかし《
「おじさん、多いもんねえ《
「オレらが唄えるようなのは、ないんじゃないかな《
「『Highway star』なんて入ってないかな《
「あるわけないっしょ、そんなもん・・・《

 ・・・

「あれは、だってさあ《
「いや、あン時はびっくりしましたよお。このヒトどういうヒトなんだろうって《
「あれは、オレらまだ一年の時だもんな《
「そんなすごかったか?《
「そりゃすごかったっスよ。あれで、このサークル大丈夫かなって思っちゃいましたもん《
「そんでも結局入っちゃったもんねえ《
「そりゃ、やっぱ、あの子いたからでしょ《
「え、誰のこと?《
「いや、いいんスよ、そんなことは。ええい、つまんないこと思い出すんじゃないよ《
「おい、教えろよ。誰なんだよ《
「だから、いいんですってば・・・《

 ・・・

「そろそろ行きましょうか? もう四時近くですよ《
「あらあ、そんなにいた?《
「ええ、知らない間にけっこう飲んじゃってましたね《
「そうだな、そろそろいくか《
「藤田さんたち、まだ飲んでるみたいっスね《
「はあ。ありゃまだ立ちそうにないな。大丈夫なんかね、明日は《
「ま、お先に失礼するしかないっスね《
「ああ、そうだな・・・あ、すいません、お勘定お願いします《
「どれぐらいっすかね?《
「さあ、二万もいかないと思うけど《
「そんなに食ってないっすからねえ《
「お姉さんもつかないし《
「まあた。やっぱ、そういう嫌らしいこと考えてましたね《
「バカ、そうじゃねえよ。あ、でも、あっちのお姉さんいいと思わない?《
「えっ、どっちっすか《
「だから、ほら、あっちの青っぽいドレスの・・・あ、はい。えーと・・・ん、$90? あ、ああ、ここ、ニューヨークだったんだ。あらあ、すっかり感覚なくなってた《
「確かに・・・てことはこれ、チップどうなんすかね?《
「あ、そうだな。えーっ、わかんねえよ、そんなの《
「やっぱ、いるんじゃないっすか《
「いや、待てよ。ここは、聞いてみた方がいいかもしんない・・・あ、あの、すいません。ちょっとお尋ねしてもいいっすか《
「はい? 何でしょう《
「あ、いえ、すいません、何分こういうとこ初めてなもんでして《
「はい《
「それで、あのう・・・このお勘定、チップは別なんでしょうか?《
「えっ? あ、ああ・・・ホホ。いえ、あの、チップはご料金の中に含まれておりますから、どうぞご安心ください《
「あ、そうですか。どうもすいません、変なこと聞きまして・・・《
「いえいえ、お気になさらないで、ホホ・・・《
「はあ・・・《

 思いっ切り笑われてんな、こりゃ。

「あ、藤田さん。それじゃオレら、これで・・・《
「え? もう帰っちゃうのか《
「ええ、すいません《
「そうかあ。なんか悪かったな。あ、勘定どうした、おまえら《
「いや、もう済ませましたから《
「バカ、こっち回せよ。いくらだった?《
「いえ、ホント。けっこうですから、そんな。あ、それじゃこれで、ホントに。どうも、ありがとうございました《
「なんにもしてねえじゃねえか《
「いや、もう会ってもらえただけで、ホントに《
「そうかあ? なんだかなあ・・・いや、でも、こっちこそ、ありがとな。遠いとこわざわざ来てもらって《
「いえ、そんな。それじゃ、また今度は日本ででも《
「ああ、そうだな《
「はい。じゃ、その時まで・・・《



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