・2002年、突然の病に・・・

ここで、私の長男が去年(2002年)3月、突然患った「再生不良性貧血」について、少し触れたいと思います。

この病名を聞いてもおそらくピンとこない人がほとんどだと思います。

再生不良性貧血・・・血液をつくっている骨髄の働きが衰えて,血液細胞の産生が低下し,

血液中の赤血球・白血球・血小板の全てが減少した結果,細菌の感染や出血が起こりやすくなる病気です。

遺伝したり,伝染したりすることはありません。100万人に4〜5人の難病。

骨髄とは、硬い骨の真ん中にあるゼリー状の部分で,そこには造血幹細胞(全ての血球の種)が含まれていて,それが血液をつくっています。

 

<血液の働き>

赤血球(RBC)・・・そのなかにヘモグロビン(HGB)を含んでおり,肺から酸素を体のすみずみにまで運ぶ働きがあります。

白血球(WBC)・・・感染から体を守ります。白血球はさらに,好中球,リンパ球,単球,好酸球,好塩基球に分けられます。細菌に対しては,おもに好中球が,ウイルスに対しては,リンパ球が戦います。

血小板(PLT)・・・ けがをした部分の血をかためる(止血)働きがあります。

骨髄は血液の産生工場であって,常に必要とする数の血液細胞を作っています。

また必要量が高まった場合には,出血の際には赤血球や血小板が増えるし,感染の恐れがある際には,白血球が増加して異常事態に対処します。

 

血液の産生は,骨髄という環境のなかでしかおこなわれません。

骨髄における血液幹細胞の産生の低下は,血液幹細胞、骨髄微小環境が原因となり,これらが障害された結果が,再生不良性貧血です。

ほとんどの場合は原因が不明です。このような場合は,特発性再生不良性貧血とよばれています。

長男(現在7歳)も、突然の発症だったので、この特発性再生不良性貧血に、昨年(2002年)3月におかされました。

 

再生不良性貧血の治療は,診断時の病気の重さの程度(重症度)によって異なります。

そこで,治療開始前に血液検査と骨髄穿刺によって重症度の評価が必要です。重症、中等症、軽症と血液中の数値によって分類されます。

長男の場合は、この重症度分類で、重症(最重症)と分類され、骨髄移植が重症再生不良性貧血の治療にまず選ばれます。


輸血歴が少ないほど移植の治療成績がよいことから,重症と診断された場合には,家族内でHLA検査を至急におこない,

移植が可能な専門施設へ転院するのがいいということです。

HLAが一致する確立は兄弟姉妹間で1/4,まれに両親と一致することもあります。

 

骨髄移植をするために、長女、主人、私3人ともが血液検査(採血して,赤血球,白血球,血小板の数を調べる)を受けて、調べてもらいましたが、

生憎、長女もHLAの型が合わなくて、移植での治療を免疫抑制療法(点滴と薬による治療)に切り替えてすることになりました。

 

長男(琢哉)も、最初は、2002年年明けから、なんだか、熱っぽくて高熱が出たと思ったら、治り、の繰り返しで、最初は近所のかかりつけの病院へ行っていました。

今年はよく風邪をひくね・・・なんて言っていたら、ある日、青あざがいつまでも消えないで残っているではないですか?!

あら?こんなことってあるかなぁ〜くらいで、あまり、深くは考えなかったのです。

でも、あまりにも、微熱が続くし治りが悪すぎる、と思い、近所の医療センターへ行って血液検査をしてもらったら、

血液中の数値が普通の人の3分の1というでは、ありませんか・・・。驚きました。

最初は、もっと詳しく調べないと病名もまだはっきりとは断定できない、と言われ、

とにかく大変な病気なんだ、ということはわかったので・・・もう涙が止まりませんでした。。。

 

2002年3月12日、川口市立医療センターに即入院して、当日、鼻血が出てその出血が止まらなくて、すぐに血小板輸血をしてもらう。

本人も、口からも血が出て怖かったからか、いまだに覚えているようです・・・・。夜中じゅう、ずっと洗面器に血を出してたから・・・。

それで、翌日、再生不良性貧血の疑い、ということで、特定疾患の申請を保健所にして、病院も3月15日に転院することが決まり、

3月15日に、救急車で埼玉県立小児医療センターへ転院する。

 

最初は、免疫抑制療法(ATG)の治療をするためと、血液の数値が人の3分の1ということで、感染しては大変なことになるので、

個室だったので、完全看護だったのですが、しばらく(1週間くらい)は、病院へ付き添いで私も一緒に寝泊りしました。

(かなり狭い簡易ベットで)交代してもらって、お風呂に入って、また病院へ、と言う生活がしばらく続きました。

 

病院では、月、水、金と採血があり、点滴、輸血と採血のために、手のひらの甲に常に投入口の針(プラスチックのもの)がささっているので、

自由自在に腕が動かないのでかなり不自由だったと思う。しばらくは、これも、つけっぱなしでいいのですが、

1週間に1度くらい反対の手に射しかえるということをしなくてはいけなくて、痛いから、嫌がる嫌がる・・・。

何度もこれを繰り返したせいか、琢哉は今では注射は、全然嫌がりませんね。

 

免疫抑制療法で、点滴治療と平行に、免疫抑制剤(ネオーラル)を飲み続けなくてはいけないのだが、

このお薬がかなりまずいらしく、最初はいやで、苦労したけど、段々と慣れてきて日常の1つのお仕事となり、

自分から「お薬は?」なんて、言ってくれることも・・・。

ただ、このお薬の副作用として、多少毛深くなる・・・らしく、

(男の子だから多少は大丈夫でしたが)眉毛とか体毛が目に見えて濃くなってました。

でも、この薬を飲まなくてよくなれば、段々と元に戻るということなので、心配はしてませんでしたが・・(確かに今はほぼ、元どおりになっているような気がします!)

点滴治療は5日間、日にちを決めて、行ったのですが、副作用がかなり辛かったです。

本人はもちろん、私も付き添っていて、本当に辛い思いをしました・・・。腹痛、血尿、嘔吐、目痛、発熱・・・。

 

副作用もあったけど、なんとか落ち着いてきたということで、個室から、大部屋へ移ったら、

同じくらいのお友達がたくさんいて、ゲーム対戦したり、看護婦さんと遊んでもらったり、

プレイルームにも行けるようになったから、結構楽しんでいたと思う。

でも、家に帰りたくて帰りたくて、初めて外泊を許可もらった日には、家中で大喜びでした。

 

数値も徐々に増えてきて、落ち着いてきたということで、6月7日に無事完全退院できることになり、

しばらくは週1回の通院が続きました。

それが、2週間に1回、1ヶ月に1回と段々と間隔があいてきて、

今はほぼ2ヶ月に1回ペースで通院して、検査をしてもらっています。

 

まだ、完全完治ではないですが、ほぼ、普通の人と同じ生活ができるし、運動もできるし、ますますワンパクになってるし、

大変な試練を乗り越えて頑張ったね!とたくさん褒めて上げたい気持ちでいっぱいです。

病気をしたことで、学ぶことも多かったし、命の尊さ、大切さ、人のやさしさ、色々なことを私も改めて感じました。

そして、もっと大変な難病をかかえている子供たちがすごくたくさんいるということも、わかり、頑張らなくては・・・と痛感しました。

 

長男の病気が発覚して、このネットでのお友達からも、本当にすごくたくさん元気もらって、頑張れました!

きっと、そんなみなさんがいたから、頑張れたんだと思います。

本当に人の優しさに、心打たれることがたくさんありました。ありがとうございました。

病院の先生方、看護士さんにも本当にお世話になりました。ありがとうございました。

感謝の気持ちでいっぱいです。あと少し、完全完治まで、これまでのことを忘れないで、頑張らなくては・・・・!

                                                              2003.11.09記