久屋・梅花堂

久屋(1997年8月撮影)
久屋跡(1997年10月撮影)
今、池下から東山公園までの間、広小路通りの拡張工事をしており、古い町並みが次から次へと取り壊され、一歩下がって新しいビルに立て替えられています。
写真の「久屋」(喫茶店)も 97年10月取り壊されてしまいました。
子供のころ、電車に乗って(当時は ここに路面電車が走ってた)東山公園へ行く時、印象に残った建物の一つです。

道路が拡張されることは 嬉しいんですが 一方でこういったユニークな建物が無くなっていくのは残念。複雑な気持ちです。

梅花堂鬼まんじゅう
旧梅花堂鬼まんじゅう
「久屋」の斜め向かいにある和菓子屋「梅花堂」の 「鬼まんじゅう」は評判で、タイミングがよくないと なかなか買えないようです。
「鬼まんじゅう」というのは 2〜3cm角に切ったサツマイモに小麦粉のころもを被せ蒸したもので、東京などでも まれに見ますが、名古屋では結構一般的に売っています。(勤務先のの従業員食堂にもあった)

(参道入口正面にあった「梅花堂」も、2002年に 参道入口から東へ約300m程の所にビルを建て移転しました。以前と比べると 少し入りにくくなった感じがします)

日泰寺参道

参道入口 縁日の人出

この「久屋」の脇から北へ入っていくのが日泰寺の参道。
入り口の右側(久屋の向い)に、日泰寺の大きな「高札」があったが、これも立ち退きのためか無くなってしまった。

毎月21日は、弘法さまの縁日で、露店がたくさん出て大変なにぎわいです。

この参道の途中 右側に「紅茶・インド料理」で評判の、「えいこく屋」があります。

日泰寺

日泰寺山門 タイ(泰)国から寄贈された、お釈迦様の舎利(真骨)をまつるために明治三十九年に建立された。
山号の「覚王」は釈迦を表わし、寺号は日本とタイの友好を願いつけられた。
わが国 唯一の 超宗派国際的寺院。
(以上は、寺の入り口にあった案内板による)

数年前の本堂に続いて、ここ4〜5年の間に立派な山門や 五重の塔ができて、ずいぶん近代的なお寺に変身しました。

名古屋の有名人のお葬式の会場となることが多いですね。

四観音道

四観音道 古くから 「尾張四観音」といって 名古屋城下の南東(笠寺)、北東(龍泉寺)、北西(甚目寺)、南西(荒子)にある観音さまを順拝する風習があった。
そのうち「笠寺」と「龍泉寺」を結ぶ道の一部が「四観音道」として この周辺に残っている。 (地名にもなっている)

この写真は、表通り(覚王山通)から北東に入っていくところであるが この後 松楓閣の前、日泰寺の西、東山配水池を経て天満緑道につながる。

黒塀

黒塀 黒塀

子供のころ(40年以上前)、「お富さん」という唄が流行っていました。

♪いきなくろべい みこしのま〜つに♪

という唄い出しでしたが、意味は判らず、父親の唄うのを真似て口ずさんでいました。
歌詞の意味が判ったのは、それから随分たってからでした。
こんな、粋な黒塀・見越しの松のある邸宅が、覚王山・本山周辺に数軒あります。

昔は、今のJR中央線あたりまでが「街」で、それより東は郊外。覚王山、本山あたりは別荘地だったそうです。

鉈薬師堂

鉈薬師堂門前 十二神像

日泰寺の北西、四観音道西にある。
本尊は 高さ約1.2mの薬師坐像であるが、「円空」の手による、日光 月光 十二神像など、薬師を囲む脇侍が置かれている。(写真右側が十二神像の一部) “鉈”薬師の名前もここから来ている。

日泰寺の縁日(毎月21日)の日に開帳される。
このお堂内、以前は撮影できたが、先日(2003年6月)久々に見に行ったら、『撮影禁止』になっていた

立てたお賽銭この、十二神像の下の お賽銭置場?には、お賽銭が立てて置かれていた。
これだとせいぜい10円まで。50円玉や100円玉は立てられない。
どんな言われがあるのだろうか?

東山給水塔

給水塔 これも、「久屋」と同様、以前はこのあたりではよ く目立つ建物でした。
(もうひとつ、城山の昭和塾堂もありました)
現在は、現役を引退し災害時の応急給水用として使われています。

年2回公開日があり(春分の日と8月8日)塔の上の展望台まで登れます。
以前私は、偶然その日に訪れ『水道水の缶詰』をもらって帰りました。

写真右下に見える小道が 旧四観音道です。

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