星ヶ丘交差点

星ヶ丘交差点 今では、名古屋東部の一大ターミナルとなり、デパートまであるが、昔は 「一社」と「高針」へ行く街道の分かれ道で「追分」と呼ばれていた。

明治九年に「井上某」という人が住み着いて開墾を始めたとか、(それまでは誰も住んでいなかった)

大正元年に、高針方面から名古屋へ肥え汲みに行く農民や、名古屋から岩崎(日進市)の御岳まいりの人々を相手に、おでんや そうめん タバコを売る店ができたという記録がある。

昭和20年代まで 東山から追分にいたる道は、石ころだらけの 両側には松がうっそうと茂って 昼なお暗く よく「おいはぎ」が出るような 山道であったそうだ。
いまでも、当時の道の一部が残っている。


地下鉄が星ヶ丘まで伸びて(昭和43年3月)、少したった頃 星ヶ丘の駅から椙山学園に行ったことがあるが、もちろん今のように ボウリング場も プール&スケート場(*)も 自動車学校もなく、未舗装の山道を登っていったような記憶がある。
*プール&スケート場は '99年閉鎖されました

1997年の星ヶ丘交差点
星ヶ丘交差点
2003年の星ヶ丘交差点

星ヶ丘は、年々変わっています。最近だけでも

星ヶ丘住宅

昭和31年から、住宅公団がこの地に団地を作った。

それまで、このあたりの地名は「千種区田代町字瓶杁」であったが、公団の計画時点で もっと親しみやすい名前にしたらどうかという議論がなされ「星ヶ丘」と名づけられた。
当時としては、名古屋市の住宅団地の中で一番高いところにあり、星に一番近く 星が美しく見えるところの意味を込めていたようだ。

当初の団地は老朽化が進み、20世紀末頃 全面的に建て替えられた。
上の写真は旧住宅の 最後の一棟(1997年8月撮影)。 奥には 建て替えられた新しい住宅が見える。

下の写真は 新しい住宅群のシンボル、タワー棟。 25階建て。

ここの入居募集のときも「名古屋で星に一番近い公団住宅」がうたい文句になっていた。

すべて賃貸で、転勤族の多いこの辺りでも人気の一棟のようだ。 。

散歩道

星ヶ丘三越から北へ、わずか10分も歩かないところに、こんな自然豊かな遊歩道がある。 淑徳学園、東邦学園の裏を抜け、平和公園につながる。
コースの取り方によって、最低30分から2時間位までの 絶好な散歩コースが組める。

星ヶ丘から この道に入るのは少々わかりにくく、地元の人以外には あまり知られていないようだ。

と以前は書いていました。路面も ほとんど土だったのですが、その後 整備が進み、半分ぐらいは舗装されてしまっています。
2003年初め頃に「平和公園一万歩コース」ができて、その一部に組入れられたのでわかり易くなり、歩く人も多くなったようです

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