今では、名古屋東部の一大ターミナルとなり、デパートまであるが、昔は 「一社」と「高針」へ行く街道の分かれ道で「追分」と呼ばれていた。
明治九年に「井上某」という人が住み着いて開墾を始めたとか、(それまでは誰も住んでいなかった) 大正元年に、高針方面から名古屋へ肥え汲みに行く農民や、名古屋から岩崎(日進市)の御岳まいりの人々を相手に、おでんや そうめん タバコを売る店ができたという記録がある。
昭和20年代まで 東山から追分にいたる道は、石ころだらけの
両側には松がうっそうと茂って 昼なお暗く よく「おいはぎ」が出るような
山道であったそうだ。
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1997年の星ヶ丘交差点 | |
2003年の星ヶ丘交差点 |
それまで、このあたりの地名は「千種区田代町字瓶杁」であったが、公団の計画時点で
もっと親しみやすい名前にしたらどうかという議論がなされ「星ヶ丘」と名づけられた。
当時としては、名古屋市の住宅団地の中で一番高いところにあり、星に一番近く
星が美しく見えるところの意味を込めていたようだ。
当初の団地は老朽化が進み、20世紀末頃 全面的に建て替えられた。
上の写真は旧住宅の 最後の一棟(1997年8月撮影)。
奥には 建て替えられた新しい住宅が見える。
下の写真は 新しい住宅群のシンボル、タワー棟。 25階建て。
ここの入居募集のときも「名古屋で星に一番近い公団住宅」がうたい文句になっていた。
すべて賃貸で、転勤族の多いこの辺りでも人気の一棟のようだ。 。
星ヶ丘から この道に入るのは少々わかりにくく、地元の人以外には あまり知られていないようだ。
と以前は書いていました。路面も ほとんど土だったのですが、その後 整備が進み、半分ぐらいは舗装されてしまっています。
2003年初め頃に「平和公園一万歩コース」ができて、その一部に組入れられたのでわかり易くなり、歩く人も多くなったようです